『メランコリア』試写
本日は試写を1本。
『メランコリア』 ラース・フォン・トリアー
前作『アンチクライスト』を観たときに、これはフォン・トリアーが心を病んだからこそ切り拓くことができたヴィジョンだと強く感じた。前にも引用したと思うが、渡辺哲夫の『祝祭性と狂気 故郷なき郷愁のゆくえ』には以下のような記述がある。
「たとえば現代精神医学も、その解くべき封印の一つではないだろうか。絶え難い苦痛、絶望などが症状であるならば、もちろん治療という形で病気を封印すべきと思うが、生命の輝きそのもののような狂気もあり、これは本来、悲惨不毛なだけの病気でないにもかかわらず、これをも精神科医療の名のもとに封印してしまうことが少なくない」
フォン・トリアーは「生命の輝きそのもののような狂気」を封印することなく、『アンチクライスト』を作った。
では新作『メランコリア』はどうか。筆者は、その狂気が封印されないままフォン・トリアーが映画を作ってくれればと身勝手な期待を抱いていたが、新作もまさに狂気からヴィジョンが切り拓かれている。そして、深く深く引き込まれた。
これは『アンチクライスト』をどう解釈するかにもよるが、筆者の目から見ると2作品は完全に対になっている。ポイントになるのは「時間」のとらえ方だ。『アンチクライスト』では、「瞬間」と「歴史」が対置され、『メランコリア』では、「瞬間」と「未来」が対置されている。詳しいことはいずれまた。
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