杉江松恋さんによる読み応えのある新書版『サバービアの憂鬱』レビューがカドブン(WEB)に掲載されました



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以前の記事「『サバービアの憂鬱』と杉江さんや川出さんの『サバービアとミステリ』とジョン・カッツのサバービア探偵シリーズのこと」で触れたように、杉江松恋さんは、旧版『サバービアの憂鬱』を参考書にして、川出正樹さん、霜月蒼さん、米光一成さんとの対談形式で電子書籍『サバービアとミステリ』をまとめられたりして、本書をしっかり読み込んでいただいているので、この新書版レビューでも、サバービア(郊外住宅地と文化)をめぐる全体的、歴史的なビジョンと、スピルバーグの『激突!』やレッドフォードの『普通の人々』、ビル・オウエンズの写真集『Suburbia』、ジョン・チーヴァーやアップダイク、スティーヴン・キングやフィリップ・K・ディックといった構成要素の双方に目配りしていただき、読み応えのある内容になっています。
そして個人的になによりも嬉しかったのが、「ページを追ううちに点と点が結ばれて線になり、さらに面を形成していく。この読み心地にはたまらない快感がある」というお言葉。旧版執筆時には、章と章が様々なかたちで密接に結びついていく構成にしようと何度も変更を加え、時間を割いたので、そのように感じていただけるのは最高の喜びです。

大場正明『サバービアの憂鬱 「郊外」の誕生とその爆発的発展の過程』レビュー【評者:杉江松恋】|カドブン

『サバービアの憂鬱』の古書の素晴らしい紹介文をきっかけに京都の書店「誠光社」の店主・堀部篤史さんとお知り合いになる



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1月19日に『サバービアの憂鬱』復刊決定の告知をしたあとで、復刊ドットコムで本書に投票してくれた読者の方々がいたことをなんとなく思い出し、久しぶりにチェックしてみたら、昨年の12月22日に何年かぶりの投票があり、「誠光社が選ぶ復刊リクエスト10選。ジャンルも時代も横断し、今再び手に取りたいタイトルを古本好きの観点も交えてセレクトしました」というコメントが添えられていた。

そのときはまったく気づいていなかったが、あとで本書の投票ページを見直したら、実はそれは「誠光社×復刊ドットコム コラボリクエスト」という企画として投票された1票で、別枠に以下のような説明があった。

「2015年の開店直後から、こだわりのある本のセレクトや独特の陳列方法で話題を呼びいまや京都の観光スポットのひとつにもなっている独立系書店「誠光社」。
このたび復刊ドットコムでは、誠光社代表である堀部篤史さんのご協力をいただき「誠光社×復刊ドットコム コラボリクエスト」を開催いたします。
本の仕事に長年携わってきた堀部さんが選ぶ、いま復刊すべき究極の10冊とは? みなさまの投票をお待ちしています」

それを先に知っていたらその後の展開も違ったものになっていたかもしれないが、筆者が次に見つけたのは、誠光社が扱っている『サバービアの憂鬱』の古書の紹介文だった(誠光社は、店舗では新刊書中心だが、通信販売で古書も扱っている)。その紹介文の内容が素晴らしかったので、どんな方が書いているのか興味がわき、誠光社のHPをチェックした。

筆者は寡聞にして存じ上げなかったが、誠光社店主の堀部篤史さんは、『本を開いてあの頃へ』、『本屋の窓からのぞいた京都』、『街を変える小さな店』、『90年代のこと―僕の修業時代』、『火星の生活』などの著書があり、「ケトル」、「アンドプレミアム」、「本の雑誌」などの雑誌に寄稿し、本屋の新しいあり方や本のある空間づくりを提案し、イベントや講演などもこなすすごい方だった。

筆者は『サバービアの憂鬱』の古書の紹介文をこのブログで取り上げたかったので、誠光社の問い合わせフォームを使って、本書の復刊が決定したこと、紹介文を引用させていただきたいことをお伝えした。

先述した復刊ドットコムとのコラボ企画にまだ気づいてなかったこともあり、その返信の内容にはびっくりした。堀部さんは、『サバービアの憂鬱』をことあるごとに読み返し、影響を受け、トークイベントの出演時や原稿の執筆時などに何度も参照されていた。そればかりか、誠光社は出版活動も行っており、ここ数年、復刊ができないだろうかと考え、いつかご挨拶をと思われていたとのこと。そんなときに筆者が連絡したのでお互いにびっくりすることになった。

おかげで新書版『サバービアの憂鬱』を誠光社で扱っていただけることになった。「《ご予約》サバービアの憂鬱 「郊外」の誕生とその爆発的発展の過程」。こちらからの予約もご検討ください。

ということで、堀部さんの許可も得て、古書の紹介文に加筆された新書版の素晴らしい紹介文を以下に引用させていただく。

「『E.T.』のオープニング、小高い丘から宇宙人目線で見下ろす郊外住宅地の整然とした灯り。几帳面に刈り揃えられた前庭の芝生をクローズアップし、虫がたかる人の耳をカメラが捉える『ブルーベルベット』のショッキングな冒頭。

平凡で当たり前とされていたアメリカ郊外の暮らしを、客観的な目線で捉え、その内側にある歪み、違和感、狂気、さらにはアメリカン・ウェイ・オブ・ライフの本質を暴き出す小説、映画、写真、広告などを俎上に、多角的にサバービア文化を分析する名著。スピルバーグ、デヴィッド・リンチ、ビル・オーウェンズの”SUBURBIA”、ジョン・チーヴァーにジョン・ヒューズ。本書を読めば、アメリカ映画やフィクションの細部がクリアに、興味深く見えてくるコンタクトレンズを与えてくれるような一冊。

初版刊行30年を経て、ついに加筆修正がほどこされ、新書版として再登場。本書の内容がいまなお古びないのは、戦後にはじまるわれわれのライフスタイルと考え方が、サバービアに根ざしていようが、その反発であろうが、多大なる影響を維持し続けているから。映画、小説、音楽と、アメリカン・ポップカルチャーのガイドとしても楽しめる名著です」

堀部さんからは、ご著書『火星の生活』、誠光社が手がけた軸原ヨウスケ・中村裕太著『アウト・オブ・民藝』、堀部さんのご友人の和井内洋介さん(ちなみに『サバービアの憂鬱』を愛読していただいているとのこと)が自費出版し、誠光社で扱っているZINE『ESCAPE FROM SUBURBIA』を送っていただいた。そちらはまた別記事で取り上げたい。今度、京都に行ったら誠光社を訪れ、堀部さんにご挨拶させていただこうと思っている。

『サバービアの憂鬱』と杉江さんや川出さんの『サバービアとミステリ』とジョン・カッツのサバービア探偵シリーズのこと



トピックス

拙著『サバービアの憂鬱』が角川新書の一冊として復刊されることについては前の記事でお知らせした。その新書版のあとがきを書き終えたあとで、思い出していたのが、もうだいぶ前に杉江松恋さんのご厚意で拝読させていただいた『サバービアとミステリ 郊外/都市/犯罪の文学』のことだった。

この電子書籍は、杉江さん、川出正樹さん、霜月蒼さん、米光一成さんが、ミステリをコミュニティの動態を描いた小説という観点から眺めてみることに挑戦した座談会を収録したもので、『サバービアの憂鬱』がその参考書として取り上げられていた。

『サバービアの憂鬱』の視点を応用して、ミステリの作家や作品の世界を多面的に読み解いていくアプローチは刺激的だった(もっと個人的なことをいえば、筆者がその昔、ロス・マクドナルドや横溝正史を好んで読んでいた理由も説明されているようで興味深かった)。

この『サバービアとミステリ』の冒頭には、杉江さんの以下のような発言がある。

「この『サバービアの憂鬱』には、1940 年代後半からのアメリカ社会の動きが書かれていて、巻末に各章で採り上げられた参考図書のリストがあるんですね。しかし、われわれとしては意外なことに、その中にはミステリがほとんど入っていないんです。音楽、映画、一般文芸など様々なサブカルチャーには言及しているのにミステリについては全くない。これは、もしかすると『サバービアの憂鬱』では語られなかった要素が、ミステリについて触れることによって見えてくるんじゃないかという期待があるわけです。そうした形で『サバービアの憂鬱』になかった視点を補うということが一つの目標でもあります」

ブログの前の記事では、「新書版あとがきでは、本書出版後に公開されたサバービア映画から、本書の内容とつながりのあるものをピックアップし、出版以後についてもいくらかフォローしました」と書いたが、実はミステリも1本、取り上げている。ギリアン・フリンの『ゴーン・ガール』だ。ただ、必ずしもミステリを意識したわけではなく、この小説には、『サバービアの憂鬱』の第21章「サバーブズからエッジ・シティへ」や第22章「新しいフロンティアのリアリティ」のその先にある世界が描かれているので、外せなかった。

結果的に、新書版にはミステリもわずかながら盛り込まれることになったが、あとがきを書き終えて『サバービアとミステリ』のことを思い出したのには、別のきっかけもある。

アメリカのジャーナリスト/作家のジョン・カッツについては、ビジネス・サスペンスの『ネットワーク乗っ取り計画』やノンフィクションの『ギークス GEEKS――ビル・ゲイツの子供たち』くらいしか邦訳がないので、あまり知られていないと思うが、そのカッツは、『サバービアの憂鬱』が出版された93年から、サバービア探偵(suburban detective)を主人公にしたミステリ・シリーズを書き出した。

筆者は当時、そのシリーズに関心を持ち、ペーパーバックが出るたび購入していたのだが、もうずいぶん昔のことですっかり忘れていた。そのペーパーバックはまだどこかにあるはずだが、見つけ出せなかった。

もう記憶がかなり曖昧になっているが、主人公のクリストファー・“キット”・デリウーは、以前はウォール街で働いていたが、インサイダー取引をめぐるトラブルに巻き込まれて職を失った。彼は、ニュージャージー州のルーシャンボーという架空の郊外の町に妻子と暮らしていて、地元のショッピングモールのなかに小さな事務所を開いて、サバービア探偵になった。

1作目の『Death by Station Wagon』(1993)では、地元の高校の人気者だったカップルの遺体が発見され、警察は少年が少女を殺害した後に自殺したと判断するが、少年の仲間たちはそれに納得できず、探偵キットが捜査に乗り出す。第2作の『The Family Stalker』(1994)では、キットがある女性を追っていく。最初はよくある不倫の調査に思えるが、その女性が郊外の主婦たちと親しくなり、密かに彼女たちの夫を誘惑し、家庭を破壊している疑惑が浮上する。

その後、このシリーズは、『The Last Housewife』(1995)、『The Father’s Club』(1996)、『Death Raw』(1998)と続き、5作で終了してしまった。サバービアとミステリを結びつけるというこのシリーズの発想は悪くなかったと思う。ウォール街でのトラブルからサバービアのショッピングモールへ、という展開も80年代から90年代への流れを感じるし、インターネットや携帯が普及する以前の、モールを中心としたサバービアの日常もリアルに描かれていたような気がする。

著者であるカッツの関心が、90年代末頃から愛犬や犬とオーナーの関係に移ってしまったようなので仕方がないが、このサバービア探偵のアイデアはもったいなかったと思う。

大場正明『サバービアの憂鬱』復刊決定のお知らせ 3月10日発売予定



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『サバービアの憂鬱』の復刊が決定しました。角川新書の1冊になり、3月10日発売予定です。副題が「アメリカン・ファミリーの光と影」から「『郊外』の誕生とその爆発的発展の過程」にかわり、加筆修正しています。

本書を執筆したときには、どう構成するかにとても苦労しました。手本になるような文献があまりなく、ゼロから組み立てなければならなかったということもありますが、逆にいえば、枠組みに縛られることなく大胆なこともできるように思え、サバービア(郊外住宅地)をめぐる現実とフィクションを往復するように多様な視点を盛り込み、結びつけていく作業にかなり時間を費やし、納得のいく構成にはなったものの、文章を整える時間があまりなく、勢いでまとめてしまったところがありました。

本書が絶版になったあと、本文テキストをWEBで公開するときに、ある程度、加筆修正をしましたが、やはり復刊のために、本のかたちを思い描きながら、ゲラに赤を入れていく作業は全然違いますので、今回は細かいところまでいろいろ加筆修正しました。本書で取り上げた小説で、出版後に翻訳が出たものについては、引用を差し替えるなどアップデートしました。新書版あとがきでは、本書出版後に公開されたサバービア映画から、本書の内容とつながりのあるものをピックアップし、出版以後についてもいくらかフォローしました。

ずいぶん遠回りしましたが、構成と文章がそろい、やっと本が完成した、という気がしています。

速水健朗氏からいただいたオビの推薦コメント、胸にきました。この新書版は560ページで、新書としてはかなりのボリュームになります。

Amazonで旧版の古書を調べると、出品された16冊中15冊が1万2千円以上で最高が2万5千円になっているようです。筆者がよく利用する横浜市立の図書館には少なくとも2冊置かれていたはずなのですが、検索しても1冊もヒットしなくなりました。復刊によってレア本から普通に手に入れられる本に戻るのがとても嬉しいです。

どんな本なのかもう少し詳しくお知りになりたい方は、HPでサンプルとして序章と第1章のテキストの公開を継続していますので、目を通してみてください。但し、新書版は加筆修正していますので、まったく同じではないことをご了承ください。

『サバービアの憂鬱』イントロダクション

パオ・チョニン・ドルジ監督 『ブータン 山の教室』 レビュー

Review

光を感じるために、影を知る。

パオ・チョニン・ドルジ監督のデビュー作『ブータン 山の教室』の主人公ウゲンは、“Gross National Happiness BHUTAN(国民総幸福 ブータン)”とプリントされたTシャツを着ている。ドラマの終盤では、ルナナ村の村長が、「この国は世界で一番幸せな国と言われているそうです。それなのに、先生のように国の未来を担う人が幸せを求めて外国に行くんですね」と語る。

そこから本作の大まかなテーマが見えてくる。経済的な豊かさだけでなく、精神的な豊かさも考慮したGNHを目標に掲げるブータンは、実際には伝統文化と急速に押し寄せる近代化・都市化の波にどう折り合いをつけていくのかという難題に直面している。

では、ドルジ監督はそんなブータンでどんな立ち位置をとり、なぜ舞台にルナナ村を選び、どんな意図でウゲンというキャラクターを作ったのか。ドルジは写真家であり、アジアを中心に各地を旅する放浪者であり、旅で見出した物語を伝える語り部でもある。そんな彼の豊かな体験や世界観は、とてもシンプルに見える本作の物語にも様々なかたちで反映されている。

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