『家族の庭』 『サルトルとボーヴォワール 哲学と愛』試写
本日は試写を2本。
『家族の庭』 マイク・リー
マイク・リーの作品は観ていることは観ているがあまり好きになれなかった。観ているうちに演劇と映画と一体どちらが大切なのだろうかという疑問がもたげてくる。彼の映画には、演劇が映画の上位にくる瞬間がある。だから「映画」に集中できないのだ。
『ヴェラ・ドレイク』もとてもしんどかったので、気が重かったのだが、この新作ははじめて心から酔うことができた。役者が素晴らしいことは最初からわかっているが、芝居でごりごり押してこない。空間のとらえ方とかカメラの動きに「映画」が感じられる。
もしこれまでマイク・リーの作品が好きになれなかった映画ファンがいたら、この作品には間違いなく心を動かされるはず。
『サルトルとボーヴォワール 哲学と愛』 イラン・デュラン=コーエン
面妖な映画だった。サルトルとボーヴォワールの哲学と愛を描くうえで重要な位置を占めるのは生身の身体だろう。もしこの企画をマイケル・ウィンターボトムに委ねたとしたら、物語の流れなど無視してひたすら二人の身体を凝視し、それが哲学的に見えてくるまで徹底的に肉体を掘り下げ、描いたことだろう。うーん、想像しただけでわくわくする。
ところがこの映画は、生身の身体からどんどん離れていく。そして気づいてみると、サルトルとボーヴォワールという存在が、生身の身体からはほど遠い記号や情報の集積へと変貌を遂げている。だから面妖なのだ。
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