『麒麟の翼』 『ドラゴン・タトゥーの女』 試写

試写室日記

本日は試写を2本。

『麒麟の翼』 土井裕泰

東野圭吾の加賀恭一郎シリーズの最新作の映画化。作品になにを期待しているかで満足度が変わってくると思う。土井監督ということでとにかく「泣ける映画」を観たいという人はおそらく満足できるだろう。

筆者の場合は原作は未読で、原作にそれほど興味もなく、テレビの「新参者」の加賀のキャラクターがちょっと面白いと思った口で、要はストーリーではなくキャラクターに期待をしていたのだが、そそられる加賀にはなっていなかった。


ストーリーの構成上、そうするしかないのだろうが、加賀が他の登場事物と同じように動いてしまうと、人間ドラマとしてはより盛り上がるのかもしれないが、キャラクターのオーラとか眼差しの力は薄れてしまう。

『ドラゴン・タトゥーの女』 デイヴィッド・フィンチャー

ルーニー・マーラはリスベットに成りきっているし、映画としても見応えのある作品に仕上がっているが、基本的なストーリーにあまり手を加えていないのが意外だった。

フィンチャーを刺激するのは主人公の内面であり、その内面を通して見える世界だ。『ソーシャル・ネットワーク』の題材になったマーク・ザッカーバーグにとっては、人間はネットワークを構成するノード(結節点)だった。そんな彼の内面から見れば、ガールフレンドもノードということになるのだろう。

では、心と身体に深い傷を抱え、ピアスとタトゥーで武装し、凄腕のハッカーでバイカーのリスベットにとって、世界はどう見えるのか。それを想像すれば、ストーリーや設定をいじりたくなる。だが、監督を続投するにしろしないにしろ、あまり大胆なことをやると、二部、三部に悪影響を与えかねない。

そこでいじりたい衝動をすべてオープニング・タイトルに注ぎ込んだ。というのはもちろん筆者の勝手な想像である。