今週末公開オススメ映画リスト2013/03/21

週刊オススメ映画リスト

今回は『ザ・マスター』『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』『暗闇から手をのばせ』の3本です。

『ザ・マスター』 ポール・トーマス・アンダーソン

PTAの持つ強烈なオブセッションとそれを映像で表現しきってしまう豪腕ぶりに息をのみます。まずは『ザ・マスター』試写室日記をお読みください。

「キネマ旬報」2013年4月上旬号(3月20日発売)の『ザ・マスター』特集で、監督インタビュー、作品論、監督論につづくかたちで、「『ザ・マスター』とアメリカの50年代」というタイトルのコラムを書いております。ぜひお読みください。

映画はフィクションですが、PTAはサイエントロジーの始まりの時期をかなり詳しく調べ、ランカスター・ドッドという人物を創造しています。試写室日記では、サイエントロジーの実態に迫ったローレンス・ライトの『Going Clear』を取り上げましたが、「キネマ旬報」の原稿では、歴史学者ヒュー・B・アーバンの『The Church of Scientology: A History of a New Religion』を参考にしました。想像にすぎませんが、PTAも参考にしているように思えます。


「キネマ旬報」のインタビューのなかで、PTAは50年代初めの時期について以下のように語っています。

それ以前に起きた総てのことのせいで二日酔いになっていた時代だと思う。様々なことが同時期に生起したのは偶然ってわけでもないはずなんで、そんな時代の面白さがこの映画を作る上での大きな土台となったのは確かでね

この映画の背景については、拙著『サバービアの憂鬱』でも取り上げ、映画化もされたリチャード・イエーツの『レボリューショナリー・ロード』を思い出しておいても無駄ではないと思います。1955年に設定されたこの小説のなかで主人公のフランクは妻に対して、自分たちを取り巻く問題を以下のように語っています。

この国全体が、感傷にひたりきっている。何年間も世代を越えて病気のように広がりつづけて、いまではまわりのあらゆるものが生気を失っているんだ

そんな事態に直面すれば、のんきにかまえてなんかいられないんじゃないか? 欲得とか、精神的な価値観を失うことや水爆の恐怖や、そんなもろもろのことよりもずっと大変なことじゃないのか? いや、きっとこれは、そんなことがらが招いた結果なんだ。そういうことが理解できるだけの、しっかりした教養の積み重ねもないままに、もろもろのことが同時に動きだすとこうなるんだ。とにかく、原因はどうであれ、このままでは合衆国は滅びるんだ。そうじゃないか? あらゆる知識や教養が、みさかいなく噛みくだかれて、消化のいい知的なベビーフードに変えられてしまう。そんな楽観的で、笑顔ばかりで、何も問題がないような感情が、あらゆる人間の人生観にはびこっていないか?

そして、男たちが結局みんな骨抜きになることに、何の不思議があるというのだ? それが現実に起こっていることだというのに。これは“適応”やら“安全”やら“強調”やらをめぐるあのたわごとの山がもたらした結果なんだ――まったく、どっちを向いても同じことだ。あのろくでもないテレビの世界では、ジョークが全部、パパはまぬけで、ママがそのあらさがしをするっていう前提でできているんだ

『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』 大宮浩一

まさかこのドキュメンタリーから、想田和弘監督の『Peace』に通じるような人間と動物の関係が浮かび上がってくるとは思いませんでした。しかも、その関係を見つめているうちに、トニー・ガトリフ監督がフラメンコやロマについて語った言葉が思い浮かんでくるところが素晴らしいと思いました。すでに『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』レヴューをアップしていますので、詳しくはそちらをお読みください。

『暗闇から手をのばせ』 戸田幸宏

プレスに収められた戸田幸宏監督自身のコメントによれば、彼はテレビディレクターとして、障害者専門の派遣型風俗店『ハニーリップ』を経営する岩切友三郎さんに数回にわたって取材したが、それがドキュメンタリーとして実現することはなかったとのことです。「詳しい事情は書かない」という言葉は、そこにかなり込み入った事情があったことを想像させます。

この映画は、その取材した内容をフィクション化した作品ですが、仕方なくフィクションにしたのではなく、フィクションとして意味を持つ作品になっています。すでに『暗闇から手をのばせ』レビューをアップしていますので、詳しくはそちらをお読みください。