ファティ・アキン 『トラブゾン狂騒曲~小さな村の大きなゴミ騒動~』 レビュー
世界の現状、その縮図としての小さな村のゴミ騒動
30代にしてカンヌ、ベルリン、ヴェネチアの三大映画祭での受賞を成し遂げたトルコ系ドイツ人のファティ・アキン監督の新作は、劇映画ではなくドキュメンタリーだ。
彼はこれまでにもトルコ音楽に迫る『クロッシング・ザ・ブリッジ』を作っているが、今回はゴミ問題というより社会的な題材を取り上げている。
その舞台は、アキンの祖父母の故郷であるトルコ北東部トラブゾン地域の村チャンブルヌ。映画は、自然に恵まれた村に暮らす住人たちの生活が、銅鉱山の跡地に建設されたゴミ処理場によって破壊されていく過程を生々しく映し出していく。
窪地にシートを敷いただけの処理場からはすぐに汚水が漏れ出し、浄化装置も役に立たず、大雨が降れば大量の汚水が川から海へと流出する。激しい悪臭に対して香水を散布するという貧困な発想には呆れるしかない。
だがこれは、アキンが自分のルーツともいえる土地の窮状を世界に訴えるだけの作品ではない。ここで思い出さなければならないのは彼の劇映画に見られる独自の視点だろう。
アキンは、民族的なアイデンティティばかりにこだわれば、他者の排除に繋がることを理解している。だから、作品ごとに「愛」「死」「悪」といった普遍的なテーマを念頭に置き、個人のアイデンティティを掘り下げると同時に、他者との新たな関係性を切り拓こうとしてきた。(他者をめぐるアキンの独自の視点については、『アジア映画の森――新世紀の映画地図』でも触れている)
そんな彼はこの映画で人間だけではなく「自然」を強く意識している。人間中心主義を脱却しなければ、自然という他者を排除することになる。それは私たちの課題でもある。この映画では、世界の現状の縮図として小さな村のゴミ騒動が浮き彫りにされているのだ。
(月刊「宝島」2013年9月号、若干の加筆)
《関連リンク》
●ファティ・アキン・インタビュー 『ソウル・キッチン』