フアン・アントニオ・バヨナ 『インポッシブル』 レビュー
イニシエーションなき時代における大人になるためのイニシエーションを描いた映画
スペインの新鋭フアン・アントニオ・バヨナ監督の『インポッシブル』は、多くの犠牲者を出した2004年のスマトラ島沖地震で被災し、苦難を乗り越えて生還を果たした家族の実話に基づいている。この映画には、大きく分けて三つの見所がある。
まず、大津波の現実が、凄まじい臨場感で非常にリアルに再現されている。私たちは、過去ではなく現在進行形の出来事として、この未曾有の災害を追体験することになる。
それから家族の絆だ。主人公は、ヘンリーとマリアのベネット夫妻とルーカス、トマス、サイモンという3人の息子たち。タイのリゾート地で休暇を過ごしていたこのイギリス人一家に大津波が襲いかかる。マリアと長男のルーカスは激しい濁流にのみ込まれ、他の3人と引き離されてしまう。過酷なサバイバルを余儀なくされるマリアとルーカス、そして必死に二人を探し続けるヘンリー。彼らの姿からは、家族の強い絆が浮かび上がってくる。
このふたつは、映像やドラマからダイレクトに伝わってくるので、あまり言葉を費やす必要もないだろう。だがこの映画にはもうひとつ、見逃せないテーマが盛り込まれている。それは、ルーカスにとってこの体験が、大人になるためのイニシエーション(通過儀礼)になっているということだ。
映画の作り手がそんなテーマを意識していることは、導入部のエピソードに表れている。物語はタイに向かう飛行機の機内から始まる。一家は離れた席に、三人と二人に別れて座っている。席が離れるとしたら、両親と末っ子のサイモン、そしてルーカスとトマスという組み合わせは自然といえる。ところが、着陸態勢に入る直前になって、トマスがマリアのところにやってくる。ルーカスが怖がりの弟の面倒を見ようとしなかったからだ。
そこで、マリアとトマスが席を交換することになる。ささいなことのようだが、この家族の組み合わせの変化は興味深い。なぜなら津波の襲来後と同じ組み合わせになっているからだ。では、母親と長男の間ではどんなやりとりがあるのか。マリアは当然、ルーカスに弟の面倒を見るように注意しようとするが、機体の揺れにびくついてしまい、それどころではない。ルーカスはといえば、トマスと同じように怖がりの母親を面白がっている。そんなエピソードは、母親と長男の力関係をさり気なく示唆しているといえる。
しかし、津波の襲来によって二人の力関係はがらりと変わる。濁流にのまれ、押し流されていくルーカスは、母親の姿が視界から消えた途端に激しい恐怖と孤独に襲われる。そしてなんとか母親と合流すると、二度と一人にしないでと懇願する。また、自分は勇敢なはずなのに怖いと認める。津波が引いたあとも、自分たちのことだけで頭がいっぱいになり、取り残された幼い子供ダニエルも見捨てようとする。つまり、自分が子供であることを思い知らされるのだ。
それがイニシエーションの出発点になるわけだが、ルーカスがどう変貌を遂げるのかを見ていく前に、現代におけるイニシエーションについて確認しておきたい。
心理学者の河合隼雄は以下のように書いている。「近代社会においては、イニシエーションの儀式を喪失してしまったので、集団として、決められた日に子どもが成人になるということができぬため、個々の人間がそれぞれイニシエーションを体験しなくてはならない。ところが、それが作用しない一群の人々がいるのである」。さらに、哲学者/宗教学者の鎌田東二は、同様のことを以下のように表現している。「子どもが大人になるということ、そして一個の人格が理想的な形態に向上・成長し、変身・変容していくことについて、戦後社会は完全にモデルと方法を喪失し、“イニシエーションなき社会”になってしまったのだ」
もしタイで休暇を過ごすこの一家に何事も起こらなければ、おそらくルーカスはそんなイニシエーションなき社会を生きていくことになっていただろう。しかしだからといって、災害に巻き込まれ、危機的な状況を乗り越えれば大人になるというものでもない。
そういう意味で、この映画と対比してみたくなるのが、ほとんど無名のベン・ザイトリンが監督し、アカデミー賞で主要4部門にノミネートされて話題になった『ハッシュパピー バスタブ島の少女』だ。
この作品はファンタジーのように見えながら、実際にそんな伝承があるのではないかと思われるイニシエーションの世界が埋め込まれている。ヒロインの少女が暮らす低地がハリケーンで水没しかけ、しかも唯一の家族である父親が重病で死にかけていると知ったとき、少女は不在の母親がいると信じる場所に向かって海を泳いでいく。そして現実とは隔てられた不思議な場所で、象徴的な死者との交感を通して強靭な生命力を獲得し、現実の世界に戻ってくる。
かつて存在したイニシエーションでは、現実と隔てられ、死や死者と身近に接するような他界が重要になる。そんな空間をくぐり抜け、子供は大人になるのだ。
『インポッシブル』で津波が去ったあとの世界は、ルーカスにとってこの他界に近い。子供に戻った彼は、母親が収容された病院で、別れ別れになった家族を結びつけることで新たな次元に踏み出す。さらに、母親が衰弱し、ベッドから姿を消してしまったときには、一人で生と死の世界と向き合い、行動することを余儀なくされる。
母親に二度と一人にしないでと懇願した子供は、そんなふうにして自立を遂げていく。そして、途中ではぐれてしまったダニエルの無事を確認することが、他界での経験を決定的なものにする。エピローグとなる飛行機の機内で、現実の世界に回帰し、母親に大切なことを伝えるルーカスは、これまでとは違う大人の顔をしているといっていいだろう。
この映画をより普遍的で奥深いものにしているのは、そんなイニシエーションなき時代のイニシエーションなのだ。
《引用文献》
●『生と死の接点』河合隼雄(岩波書店)
●『呪殺・魔境論』鎌田東二(集英社)
(初出:『インポッシブル』劇場用パンフレット)
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