シャロン・マグアイア 『ブローン・アパート』レビュー
テロで家族を奪われたヒロインはいかにして喪失を受け入れるのか
『ブローン・アパート』のヒロインは、警察の爆弾処理班の夫と4歳の息子とロンドンのイーストエンドに建つ公団に暮らす“若い母親”(ミシェル・ウィリアムズ)だ(この映画では彼女の名前は明確にされない)。夫の危険な仕事が大きなストレスになっていた彼女は、パブで出会ったジャスパー(ユアン・マクレガー)と関係を持ってしまう。彼は公団の向かいに建つジョージアン様式の建物に暮らす新聞記者だった。
そして事件が起こる。夫と息子をサッカー観戦に送り出した彼女は、路上で偶然再会したジャスパーと情事に耽っていた。そのときテレビのサッカー中継が爆音にかき消される。スタジアムで自爆テロが起こったのだ。このテロで息子と夫を亡くした彼女は、罪悪感と喪失感に苛まれる。ジャスパーと夫の上司だったテレンスが、そんな彼女に手をさしのべようとするが、やがてテロ事件をめぐる秘密が明らかになる。
この映画に、テロがらみの緊迫したサスペンスやミシェル・ウィリアムズとユアン・マクレガーのメロドラマを期待するのは間違いだ。作り手の関心はまず何よりも、悲嘆にくれるヒロインが、苦しみのなかでいかにして喪失を受け入れ、再生を果たしていくかにある。興味深いのは、二人の男たちの行為が思わぬかたちで彼女の喪の作業に影響を及ぼしていくことだ。
ジャスパーは、事件の真相を究明することが彼女の救いになると考える。調査に乗り出した彼は、警察が数年前からマークしていた男がスタジアムの観客席にいて、周囲の状況からみて犯人と考えられるにもかかわらず、警察がそれを伏せていることを突き止める。
しかし、ジャスパーがもたらした情報は、彼女に異なる作用を及ぼす。彼女は犯人かもしれない男の息子の尾行をはじめ、親しく話をするようになり、自分の息子との最良の思い出の場所になっている海岸で一緒に過ごすようになる。しかも彼女は、突然の発表で父親と事件の関係を知り、パニックに陥った彼の命を救うことにもなる。
一方、テレンスは、彼女を事件から遠ざけ、日常を取り戻すのを助けようとする。ジャスパーにも彼女から手を引くように警告する。彼女はテレンスを信頼するようになり、やはり一緒に思い出の海岸で過ごすようになる。だが、引き下がる気のないジャスパーは、さらに調査を進め、彼女に驚くべき情報をもたらす。彼女を想う二人の男の行為が、予期せぬ結果に繋がっていくのだ。
彼女は自宅に閉じこもり、息子の幻想と過ごすようになる。それは狂気のようにも見えるが、喪失を受け入れるために必要な過程と見ることもできる。
たとえばここで、喪を題材にしたトマ・ドゥティエール監督の『心の羽根』を思い出してみよう。スモールタウンに暮らす主婦ブランシュは、5歳の息子の事故死という悲劇に見舞われる。そんな彼女は、葬儀を終えても喪失を受け入れられず、息子が死んだ沼地に入り浸り、彼の幻影と過ごすようになる。喪に服すことができない彼女は、現実を見失っていく。だが、沼地に入り浸っているのは彼女だけではない。傍目にはバード・ウォッチャーに見える孤独な若者が、自然のなかで実験と称して密かに自分に様々な試練を課している。そんなふたりの出会いが、やがて喪に服すという儀式に繋がっていく。
喪失を受け入れるためには、しばしば現実と切り離された異界が必要になる。『心の羽根』の沼地、山中他界観を反映した河瀨直美監督の『殯の森』における森、ゴンサロ・カルサーダ監督の『ルイーサ』における地下鉄の世界がそれにあたる。そして、この映画の“若い母親”も、現実や男たちから切り離された異界をくぐり抜けて、再生を果たしていく。
もし二人の男たちの行為がなかったとしたら、彼女は憎しみや復讐心だけに囚われていたかもしれない。だが、彼らがもたらしたものが直接的に彼女を再生させるわけではない。彼らの行為と彼女の悲嘆が予期せぬ方向に向かい、喪のかたちをなしていくことが、このドラマを印象深いものにしているのだ。