『サバービアの憂鬱』の古書の素晴らしい紹介文をきっかけに京都の書店「誠光社」の店主・堀部篤史さんとお知り合いになる
1月19日に『サバービアの憂鬱』復刊決定の告知をしたあとで、復刊ドットコムで本書に投票してくれた読者の方々がいたことをなんとなく思い出し、久しぶりにチェックしてみたら、昨年の12月22日に何年かぶりの投票があり、「誠光社が選ぶ復刊リクエスト10選。ジャンルも時代も横断し、今再び手に取りたいタイトルを古本好きの観点も交えてセレクトしました」というコメントが添えられていた。
そのときはまったく気づいていなかったが、あとで本書の投票ページを見直したら、実はそれは「誠光社×復刊ドットコム コラボリクエスト」という企画として投票された1票で、別枠に以下のような説明があった。
「2015年の開店直後から、こだわりのある本のセレクトや独特の陳列方法で話題を呼びいまや京都の観光スポットのひとつにもなっている独立系書店「誠光社」。
このたび復刊ドットコムでは、誠光社代表である堀部篤史さんのご協力をいただき「誠光社×復刊ドットコム コラボリクエスト」を開催いたします。
本の仕事に長年携わってきた堀部さんが選ぶ、いま復刊すべき究極の10冊とは? みなさまの投票をお待ちしています」
それを先に知っていたらその後の展開も違ったものになっていたかもしれないが、筆者が次に見つけたのは、誠光社が扱っている『サバービアの憂鬱』の古書の紹介文だった(誠光社は、店舗では新刊書中心だが、通信販売で古書も扱っている)。その紹介文の内容が素晴らしかったので、どんな方が書いているのか興味がわき、誠光社のHPをチェックした。
筆者は寡聞にして存じ上げなかったが、誠光社店主の堀部篤史さんは、『本を開いてあの頃へ』、『本屋の窓からのぞいた京都』、『街を変える小さな店』、『90年代のこと―僕の修業時代』、『火星の生活』などの著書があり、「ケトル」、「アンドプレミアム」、「本の雑誌」などの雑誌に寄稿し、本屋の新しいあり方や本のある空間づくりを提案し、イベントや講演などもこなすすごい方だった。
筆者は『サバービアの憂鬱』の古書の紹介文をこのブログで取り上げたかったので、誠光社の問い合わせフォームを使って、本書の復刊が決定したこと、紹介文を引用させていただきたいことをお伝えした。
先述した復刊ドットコムとのコラボ企画にまだ気づいてなかったこともあり、その返信の内容にはびっくりした。堀部さんは、『サバービアの憂鬱』をことあるごとに読み返し、影響を受け、トークイベントの出演時や原稿の執筆時などに何度も参照されていた。そればかりか、誠光社は出版活動も行っており、ここ数年、復刊ができないだろうかと考え、いつかご挨拶をと思われていたとのこと。そんなときに筆者が連絡したのでお互いにびっくりすることになった。
おかげで新書版『サバービアの憂鬱』を誠光社で扱っていただけることになった。「《ご予約》サバービアの憂鬱 「郊外」の誕生とその爆発的発展の過程」。こちらからの予約もご検討ください。
ということで、堀部さんの許可も得て、古書の紹介文に加筆された新書版の素晴らしい紹介文を以下に引用させていただく。
「『E.T.』のオープニング、小高い丘から宇宙人目線で見下ろす郊外住宅地の整然とした灯り。几帳面に刈り揃えられた前庭の芝生をクローズアップし、虫がたかる人の耳をカメラが捉える『ブルーベルベット』のショッキングな冒頭。
平凡で当たり前とされていたアメリカ郊外の暮らしを、客観的な目線で捉え、その内側にある歪み、違和感、狂気、さらにはアメリカン・ウェイ・オブ・ライフの本質を暴き出す小説、映画、写真、広告などを俎上に、多角的にサバービア文化を分析する名著。スピルバーグ、デヴィッド・リンチ、ビル・オーウェンズの”SUBURBIA”、ジョン・チーヴァーにジョン・ヒューズ。本書を読めば、アメリカ映画やフィクションの細部がクリアに、興味深く見えてくるコンタクトレンズを与えてくれるような一冊。
初版刊行30年を経て、ついに加筆修正がほどこされ、新書版として再登場。本書の内容がいまなお古びないのは、戦後にはじまるわれわれのライフスタイルと考え方が、サバービアに根ざしていようが、その反発であろうが、多大なる影響を維持し続けているから。映画、小説、音楽と、アメリカン・ポップカルチャーのガイドとしても楽しめる名著です」
堀部さんからは、ご著書『火星の生活』、誠光社が手がけた軸原ヨウスケ・中村裕太著『アウト・オブ・民藝』、堀部さんのご友人の和井内洋介さん(ちなみに『サバービアの憂鬱』を愛読していただいているとのこと)が自費出版し、誠光社で扱っているZINE『ESCAPE FROM SUBURBIA』を送っていただいた。そちらはまた別記事で取り上げたい。今度、京都に行ったら誠光社を訪れ、堀部さんにご挨拶させていただこうと思っている。