『プリピャチ』劇場用パンフレット

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事故から12年後のチェルノブイリ、ゾーンのなかで生きる人々

“プリピャチ”とは、チェルノブイリ原発から4キロのところにあり、かつては発電所の労働者たちが暮らしていた街の名前だ。また、原発の脇を通ってドニエプル川に合流する川の名前でもある。この映画は事故から12年を経た時点で、原発から30キロ圏の立入禁止区域に暮らしていたり、そこで働いている人々の日常や彼らの言葉を記録したドキュメンタリーだ。

事故後、一度は移住したものの、故郷に戻ってきてそこで暮らしている老夫婦、事故以前からの職場だった環境研究所で働きつづけている女性、2000年まで運転が継続されていた発電所の3号機で働く技術者といった人々が登場する。『いのちの食べかた』のニコラウス・ゲイハルター監督の1999年作品。

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ナ・ホンジン 『哀しき獣』 レビュー



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社会的な視点と壮絶なアクションが根源的な痛みを炙り出す

ナ・ホンジンの『哀しき獣』では前作『チェイサー』以上に壮絶な死闘が繰り広げられるが、その世界に入り込むためには、中国の朝鮮族のことを少し頭に入れておくべきだろう。この物語には、中国にあって北朝鮮、ロシアと国境を接する延辺朝鮮族自治州と韓国の関係が反映されている。

中国朝鮮族と韓国は、1992年に中国と韓国の間で国交が結ばれたことをきっかけに経済的に急接近する。そして韓国との交易が延辺地区を潤すかに思われた。だが、韓国資本への一方的な依存は、アジア金融危機による打撃、あるいは差別や詐欺などの被害を生み出すことにもなった。それが『哀しき獣』の背景だ。

物語は延辺朝鮮族自治区・延吉から始まる。タクシー運転手のグナムは、韓国に出稼ぎに行った妻からの音信が途絶え、借金で首が回らなくなっている。そんな彼に、延吉を仕切る犬商人ミョンが、韓国に行って人を殺す仕事を持ちかける。グナムは、妻に会えるかもしれないと思い、それを引き受けてしまうが、黄海(映画の原題)の向こうには予想もしない悪夢が待ち受けている。

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ポール・ハギス 『スリーデイズ』 レビュー

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代償は高くても自由を求める意味を考える

ポール・ハギスがアメリカ映画界で成功を収めるきっかけは、クリント・イーストウッド監督の『ミリオンダラー・ベイビー』(04)の脚本を手がけたことだった。F・X・トゥールの短編集『テン・カウント』(文庫のタイトルは『ミリオンダラー・ベイビー』)を原作にしたこの脚本には、ハギスの思いや独特の人生観を見出すことができる。

1953年、カナダ・オンタリオ州生まれのハギスは、20代でハリウッドにたどり着き、テレビの世界に入ってこつこつと経験を積み重ね、脚本家としての地位を築き上げた。しかしそれはあくまでテレビ界における評価だった。彼の夢は劇映画の脚本を書き、監督することだった。そこで、世紀が変わろうとするころ、40代後半にさしかかっていた彼は、だめもとで劇映画の脚本を書き出した。それが『ミリオンダラー・ベイビー』だった。

この映画に登場するヒロイン、マギーは、13歳からずっとウェイトレスとして働き、30代になってもボクシングのトレーニングを続けている。ハギスがそんな彼女に共感を覚えても不思議はないだろう。だが、彼が作り上げたのは、スポ根ものの成功物語ではない。

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キラン・アルワリアと『灼熱の魂』とカナダの多文化主義をめぐって

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「るつぼ」とは違う「モザイク」が生み出す文化と相対主義のはざまで

カナダは世界に先駆けて国の政策として多文化主義を導入した。その政策には二本の柱があった。一本は、ケベック州と残りのカナダがひとつの国家としてどのように存在すべきなのかという課題に答えるものだ。カナダの多文化主義の功罪をテーマにしたレジナルド・W・ビビーの『モザイクの狂気』では、以下のように記されている。

同委員会の勧告に基づいて、公式の政策声明が出された。カナダには二つの建国民族――フランス人とイギリス人――がいると宣言された。これ以後、カナダは二つの公用語――フランス語と英語――を持つことになる。カナダ人は一生いずれの言語で暮らしてもよい。一九六九年、この考えは確固不動のものになった。公用語制定法の通過に伴い、異集団間を支える主要な二つの礎石の一つ――二言語併用主義――が据えられた

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『別離』 試写



試写室日記

本日は試写を1本。

『別離』 アスガー・ファルハディ

世界的な注目を集めるイラン映画の異才ファルハディの新作。試写がはじまったらすぐに観にいきたいと思っていたが、なかなかタイミングがあわず、ちょっと遅くなってしまった。すでに世界各国で60冠を超える映画賞に輝いているということだが、それも当然だろう。

ファルハディの前作『彼女が消えた浜辺』(09)は、イランに限らずどこでも成り立つ物語に見えながら、実に巧妙にイランの歴史と現実が掘り下げられていた。筆者は『彼女が消えた浜辺』レビューで、イラン出身の評論家ハミッド・ダバシの著書『イラン、背反する民の歴史』を引用しつつ、この映画の背後にイランの中流と貧困層の非常に複雑な関係が潜んでいることを指摘した。

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