ダニエル・ネットハイム 『ハンター』 レビュー

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広大な自然の中で
真のハンターとなった男の物語

ダニエル・ネットハイム監督の『ハンター』の主人公マーティン・デイビッドは、レッドリーフ社から請け負った仕事を遂行するためにタスマニア島を訪れる。単独行動を好む彼は、奥地へと分け入り、黙々と作業を進めていく。彼がベースキャンプにしている民家には、母親のルーシーと、サスとバイクという子供たちが暮らしている。奥地とベースキャンプを往復する彼は、この母子と心を通わせていくうちに、自分の仕事に対して疑問を覚えるようになる。

しかし、マーティンを変えていくのは、決して純粋な心や家族の温もりといったものだけではない。この映画でまず注目しなければならないのは、余計な説明を削ぎ落とした表現だろう。

たとえば、マーティンという主人公は何者なのか。これまでどんな人生を歩んできたのか。どんな仕事をこなしてきたのか。なぜ人と関わることを避けようとするのか。あるいは、なぜバイク少年は言葉をまったく発しないのか。喋れないのか、喋らないのか。父親のジャラが行方不明になってからそういう状態になったのか、それとも以前からそうだったのか。この映画はそれをあえて説明せず、私たちの想像に委ねようとする。

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テイト・テイラー 『ヘルプ ~心がつなぐストーリー~』 レビュー

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ユーモアを織り交ぜて描き出される女性同士のホモソーシャルな連帯関係

『ハッスル&フロウ』(05)や『ブラック・スネーク・モーン』(06)などの作品で知られるクレイグ・ブリュワー監督は、メンフィスに暮らし、メンフィスで映画を撮る自身の活動を、“リージョナル・フィルムメイキング”、地域に密着した映画作りと位置づけていた。

『フローズン・リバー』(08)で注目を集めたコートニー・ハント監督は、メンフィス出身で、現在は東部を拠点に活動しているが、その感性は生まれ育った土地と深く結びついている。彼女はこれまでの短編や長編をすべてニューヨーク州のアップステイトで撮影してきたが、それは風景がテネシーの故郷に非常によく似ているからだった(コートニー・ハント・インタビュー参照)。

小説家やミュージシャンと同じように、南部出身の映像作家は、土地に特別な愛着を持ち、土地に深く根ざした世界を切り拓く傾向がある。ミシシッピ州ジャクソン出身のテイト・テイラー監督にとって『ヘルプ ~心がつなぐストーリー~』は、リージョナル・フィルムメイキングを始めるきっかけになった作品といえる。

彼はこれまで15年以上もニューヨークやロサンゼルスを拠点に活動してきたが、この作品をミシシッピで撮ったことが転機となって故郷に戻ってきた。そして、かつてのプランテーションを購入し、そこを拠点に新人の育成にも乗り出そうとしているという。

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アスガー・ファルハディ 『別離』 レビュー



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『別離』とイランのいま

イランには厳しい検閲制度があり、映画人は大きな犠牲を強いられている。たとえば、モフセン・マフマルバフはイランを離れ、海外に拠点を置いている。バフマン・ゴバディは無許可で『ペルシャ猫を誰も知らない』(09)を撮ったため、イランを離れざるをえなくなった。アッバス・キアロスタミは国外で撮った『トスカーナの贋作』(10)で劇映画に復帰した。ジャファール・パナヒは2010年に反政府的な活動を理由に逮捕され、有罪を宣告された。

そんな状況のなかで制約を乗り越え、世界的な評価を獲得しているのがアスガー・ファルハディだ。彼の最新作『別離』(11)は、ベルリン国際映画祭の主要三部門、ゴールデン・グローブ賞とアカデミー賞の最優秀外国語映画賞を筆頭に受賞を重ね、世界中から絶賛されている。

だが、ファルハディがそんな成功を収めるまでの道程も決して平坦だったわけではない。ベルリン国際映画祭で最優秀監督賞(銀熊賞)に輝いた前作『彼女が消えた浜辺』(09)は、検閲で足止めされ、国内で上映する許可がなかなか下りなかった。

さらに映画組合協会が主催した映画賞の授賞式における彼のスピーチが問題になった。そのなかでマフマルバフの帰国やパナヒの映画界への復帰を求めたことが当局に不適切な発言とみなされ、すでに撮影に入っていた『別離』の制作許可が取り消されることになったのだ。結局、その決定はファルハディの謝罪によって撤回されたと伝えられたが、具体的にどのようなやりとりがあったのかは定かではない。

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ジョー・コーニッシュ 『アタック・ザ・ブロック』 レビュー



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エイリアンというプリズムを通して描き出される公共団地の世界

ジョー・コーニッシュ監督の『アタック・ザ・ブロック』は、仕事を終えた見習い看護師のサムが、帰宅途中に暗い夜道でストリート・キッズたちに囲まれるところから始まる。彼女は恐怖のあまり、財布や指輪を差し出すが、そのとき明るく光る隕石が駐車中の車に激突する。サムはその隙に逃げ出し、落下物の正体を確かめようとしたキッズの前には、エイリアンが現われる。

この映画を観ながら筆者が思い出していたのは、初期のスピルバーグ作品だ。拙著『サバービアの憂鬱』のなかで、スピルバーグについて書いた第10章には、「郊外住宅地の夜空に飛来するUFO」というタイトルがついているが、“UFO”が“郊外住宅地”に飛来するのは偶然ではない。

郊外育ちのスピルバーグは、タンクローリーやサメ、UFOやエイリアンといったガジェットというプリズムを通すことによって、郊外の現実や郊外居住者の心理を巧みに描き出してみせた。

『アタック・ザ・ブロック』に登場するストリート・キッズたちは南ロンドンの低所得者向けの公共団地に暮らしているが、その団地の周辺に次々と隕石が落下してきて、エイリアンが暴れ出すのも偶然ではない。

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ステファン・コマンダレフ 『さあ帰ろう、ペダルをこいで』 レビュー

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見えない世界と繋がるサイコロを振るとき新たな人生が始まる

ステファン・コマンダレフ監督の『さあ帰ろう、ペダルをこいで』(08)については、試写を観るだいぶ前から、ステファン・ヴァルドブレフが手がけたサントラを聴いていた。

ブルガリアを代表するクラリネット奏者で、バルカンの伝統やジャズを取り込んだ独自のジャンル(“ウェディング・バンド”ミュージック)を確立したIvo Papazovが参加していたこともあるが、さらにもうひとり、興味をそそられるミュージシャンが参加していた。

カメン・カレフ監督の『ソフィアの夜明け』の音楽と劇中のパフォーマンスで大きな注目を集めるようになったソフィア出身のバンド“Nasekomix”。このバンドでヴォーカル、アコーディオン、キーボードなどを担当するAndronia Popovaが1曲だけ参加し、ラテン・ナンバーを歌っている。そのことについては、ブログで彼らのデビューアルバム『Adam’s Bushes Eva’s Deep』を取り上げたときに書いた。

これはお気に入りのサントラなので、それを聴きながらテキストを読んでいただければと思う。

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