ワン・チュエンアン 『再会の食卓』レビュー
二作つづけて二人の夫を持つ妻の物語を映画にする監督はなかなかいない
ベルリン国際映画祭で金熊賞(グランプリ)を受賞した前作『トゥヤーの結婚』と、同映画祭で銀熊賞(最優秀脚本賞)を受賞した新作『再会の食卓』を並べてみると、ワン・チュエンアンがかなりユニークな感性とこだわりを持った監督であることがわかる。
『トゥヤーの結婚』の舞台は、砂漠化が進む中国の内モンゴル自治区。遊牧を営むヒロインのトゥヤーと家族は窮地に立たされている。夫が生活に必要な水を確保するために井戸を掘っているときにダイナマイト事故に遭い、下半身不随になってしまったからだ。
重労働で身体を壊しかけたトゥヤーは、夫の勧めに従い、家族が生きていくために離婚し、新しい夫を探すことにする。彼女が出した結婚の条件は、元夫の面倒も見ること。そのため彼女は、再婚によって二人の夫を持つことになる。
新作の『再会の食卓』では、上海で暮らすヒロインのユィアーのもとに、国共内戦で生き別れになった夫イェンションが台湾から40数年ぶりに戻ってくることになる。しかし、彼が台湾に去ったあとで結婚したユィアーには、夫のシャンミン、イェンションとの間にできた長男のジュングオ、二人の娘、娘婿、二人の孫という家族がいた。
イェンションの目的は、ユィアーを台湾に連れて帰ることだった。そこでユィアーは、二人の夫と向き合うことになる。
確かに、砂漠化で過酷な生活を強いられる遊牧民と国共内戦で引き裂かれた家族という設定はまったく違う。だがそれにしても、二作つづけて二人の夫を持ち、彼らと向き合うヒロインの物語を作る監督というのは、かなり異色といっていいだろう。
もちろんひとつ間違えば、特殊な家族のかたちにとらわれて、ドラマが図式的で表面的なものにもなりかねない。だが、ワン監督は、背景にあるものを鋭く掘り下げ、このような家族のかたちであるからこそ見えてくる中国の社会の現実や歴史の歪みを描き出している。
二本の映画は明らかに表現が違う。『トゥヤーの結婚』では、ドキュメンタリー的なアプローチが重視され、人間と風景の繋がりが浮き彫りにされている。一方、『再会の食卓』では、登場人物たちが囲む食卓を軸にした脚本、構成、長回しのカメラワークが、素晴らしい効果を生み出している。この映画の食卓からは、政治的なイデオロギーに支配された時代を生き抜いた世代と改革開放の時代を生きてきた世代の溝や、記憶と結びついた感情と現実の生活に根ざした感情のせめぎ合いなど、多様で複雑な感情が鮮明に浮かび上がってくるのだ。
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