アヌラーグ・バス 『バルフィ!人生に唄えば』 レビュー
世界を引っ掻きまわすトリックスターが炙り出すもの、巧妙な時間軸の操作が生み出すマジック
インド映画を牽引するアヌラーグ・バス監督の『バルフィ! 人生に唄えば』の主人公は、生まれつき耳が聞こえず、話もできないが、豊かな感情を眼差しや身ぶりで表現してしまう心優しい青年バルフィだ。物語は彼と二人の女性、富も地位もある男性と結婚したシュルティと、施設に預けられている自閉症のジルミルを軸に展開していく。
バルフィはシュルティに一目惚れし、彼女が結婚してしまっても想いつづける。しかしその一方で、父親の手術費を捻出すべく奔走するうちに、祖父の遺産を相続したジルミルの誘拐事件に巻き込まれ、彼女との間に絆を培っていく。
この映画には、世界各国の映画からの引用が散りばめられているが、あまり細部に気をとられると、作品のダイナミズムが半減しかねない。
バス監督は、サイレント映画におけるチャップリンやキートンが、世界を引っ掻きまわすトリックスターの魅力を放っていることを強く意識して、バルフィのキャラクターを作り上げている。そして、おびただしい引用もまた、そんなトリックスターとしてのバルフィを際立たせる役割を果たしているからだ。
さらにもうひとつ見逃せないのが、この監督が得意とする時間軸の操作だ。たとえば、出世作の『Murder(原題)』(04)では、まず警察に拘束された妻の告白から、彼女が不倫相手に裏切られ、殺人に至った経緯が浮かび上がる。しかしその後の夫の告白で真相が覆り、さらにどんでん返しが待ち受けている。
『Gangster: A Love Story(原題)』(06)では、生活を共にしたギャングへの想いを引きずり、苦しむヒロインが、偶然出会ったシンガーに救いの手を差しのべられ、危険な三角関係に発展する。映画はヒロインと(顔の見えない)男が撃ち合い、病院に運ばれる終盤の場面から始まり、過去が塗り替えられることによって、導入部の意味も変化していく。
バルフィの人生の終焉から始まり、78年のコルカタと72年のダージリンを往復する新作でもそんな独自の表現が際立つ。
バス監督は単に意外性を生み出すために時間軸を操作しているのではない。彼の世界は結末から振り返ってみると、男性が女性の感情やその変化を炙り出す触媒の役割を果たしていたことに気づく。実は中心になるのは女性であって、バルフィは選ばれて幸福になるのだ。
(初出:「CDジャーナル」2014年9月号)