マイク・ミルズ 『人生はビギナーズ』 レビュー

Review

50年代と冷戦以後、父と息子の関係から浮かび上がるふたつのサバービア体験

マルチなクリエーターの長編デビュー作といえば、表現は個性的でも底の浅い作品なのではないかと思いたくなるところだが、06年に公開されたマイク・ミルズの『サムサッカー』(05)はそんな先入観を見事に吹き払い、現代のサバービアにおける個人の在り様を実に巧みにとらえていた。

そして、ミルズのプライベートストーリーを映画化した新作『人生はビギナーズ』はさらに素晴らしい。彼の父親は、45年連れ添った妻に先立たれたあと、75歳にして同性愛者として残りの人生を楽しみたいとカミングアウトし、その言葉を実行し、告白から5年後に他界したという。

この映画では、ミルズの分身オリヴァーとカミングアウトした父親ハルとの関係、かつての両親の生活や自分という存在を見つめなおすオリヴァーの回想、父親を癌で亡くした喪失感に苛まれる彼と風変わりな女性アナとの出会いという三つの流れが、時間軸を自在に操ることで絶妙に絡み合っていく。


そんなドラマは、オリヴァーと愛犬アーサーの会話が盛り込まれるなど、ユーモラスで軽やかに見えるが、サバービアに向けられた眼差しは非常に鋭い。

筆者は『サムサッカー』のレビューを書いたときに、ロバート・D・パットナムの『孤独なボウリング』から、以下のような文章を引用した。

民族誌学者のM・P・バウムガートナーがニュージャージーの郊外コミュニティに住んでいたとき、彼女が見いだしたのは1950年代の古き郊外に起因する強迫的な連帯感よりも、細分化した孤立、自主規制、そして「道徳的最小主義」の文化だった。郊外の特徴というのは小さな街のつながりを求めるのではなく、内側に閉じこもり、近所に何も求めず、お返しも何もしないというものだった

50年代と特に冷戦以後では、サバービアのコミュニティや個人の在り方に違いがあり、ミルズは『サムサッカー』で、昔とは違うサバービア、“細分化した孤立、自主規制、そして「道徳的最小主義」の文化”といえるものをしっかりと描き出していた。

このパットナムの文章は、『人生はビギナーズ』の世界を理解するヒントにもなる。オリヴァーが冷戦以後のサバービアを代表しているのに対して、父親のハルが50年代のサバービアを代表しているといえるからだ。

但し、そのハルがゲイであることを踏まえるなら、「1950年代の古き郊外に起因する脅迫的な連帯感」だけでは説明が十分とはいえない。そこで、当時の現実をより明確にするために、ステファニー・クーンツの『家族という神話』から、以下のような文章を引用しておきたい。

冷戦下の心理的不安感が、家庭生活におけるセクシュアリティの強化や商業主義社会に対する不安と混じり合った結果、ある専門家がジョージ・F・ケナンの対ソ封じ込め政策の家庭版と呼ぶ状況を生み出したのである。絶えず警戒を怠らない母親たちと「ノーマルな」家庭とが、国家転覆を企む者への防衛の「最前線」ということになり、反共主義者たちは、ノーマルではない家庭や性行動を国家反逆を目的とした犯罪とみなした。FBIやその他の政府機関が、破壊活動分子の調査という名目で、前例のない国家による個人のプライバシーの侵害を行った。さらに、アカ狩りと同じくらい悪質で大規模な同性愛者への迫害が行われた

父親のハルは、そんな抑圧的なサバービア、トッド・ヘインズの『エデンより彼方に』に描かれたような、外部からの政治的な圧力によって同性愛が病気として扱われるようなサバービアを生きてきた。一方、オリヴァーは、中道化や細分化が進み、誰もが内にこもるサバービアを生きてきた。

この映画からは、そんな親子の絆を通して、アメリカ社会と家族や個人の関係の変化が鮮やかに浮かび上がってくるのだ。

※ユアン・マクレガー、クリストファー・プラマー主演。ミルズは人気のフランス人女優メラニー・ロラン(『イングロリアス・バスターズ』『オーケストラ!』)からとんでもなくキュートな魅力を引き出してもいる。

《参照/引用文献》
●『孤独なボウリング――米国コミュニティの崩壊と再生』ロバート・D・パットナム 柴内康文訳(柏書房、2006年)
●『家族という神話――アメリカン・ファミリーの夢と現実』ステファニー・クーンツ 岡村ひとみ訳(筑摩書房、1998年)

(初出:月刊「宝島」2012年3月号、若干の加筆)