パヴェウ・パヴリコフスキ 『イーダ』 レビュー

Review

“アンナ”が“イーダ”になるためのイニシエーション

パヴェウ・パヴリコフスキの新作『イーダ』は、1957年にワルシャワで生まれ、14歳の時に共産主義のポーランドを離れたこの監督が、初めて祖国で作り上げた作品だ。

物語の背景は1962年のポーランド。戦争孤児として修道院で育てられ、修道女になる準備をしていた18歳のアンナは、院長から叔母のヴァンダが存命していることを知らされる。検察官でありながら、酒に溺れる乱れた生活を送るヴァンダは、唯一の親類を訪ねてきたアンナに、彼女がユダヤ人で、本名はイーダ・レベンシュタインであることを打ち明ける。そして二人はそれが宿命であったかのように、歴史の闇に分け入り、家族の死の真相に迫っていく。

陰影に富むモノクロ、スタンダード・サイズの映像、徹底的に削ぎ落とされた台詞や構成、ホロコーストや共産主義をめぐる歴史の闇、アンジェイ・ワイダを筆頭とする“ポーランド派”やポーランド・ジャズの黄金時代へのオマージュ。この映画は、これまでのパヴリコフスキ作品とはまったく違うように見えるが、実はしっかりと繋がっている。


14歳でポーランドを離れたパヴリコフスキは、ドイツやイタリアで暮らした後、ロシア人の妻とイギリスに定住し、最近はパリを拠点に活動している。そんな異邦人の感性は、様々なかたちで作品に反映されてきた。

『Last Resort』(00)で、婚約者と暮らすためにロンドンの空港に降り立ち、難民収容施設に押し込まれてしまうロシア人女性ターニャや、『イリュージョン』(11)で、別れた妻子と会うためにパリを訪れ、荷物や財布を奪われ、荒廃した郊外の安ホテルに転がり込むアメリカ人作家トムは、境界線上でアイデンティティの危機に直面する。

『マイ・サマー・オブ・ラブ』(04)では、モナとタムジンという階級から性格まで対照的な二人の娘が、タムジンの不在の姉を接点として深く結びつき、そんな関係の崩壊がモナにとって決定的なイニシエーションとなる。

『イーダ』では、不在の母親/姉が禁欲と退廃という対照的な人生を送るアンナとヴァンダを深く結びつけ、そんな関係に終止符が打たれる時、アンナからイーダへの移行が完了する。この映画には、パヴリコフスキ監督の異邦人の感性が見事に集約されている。

(初出:「CDジャーナル」2014年8月号)