パオ・チョニン・ドルジ監督 『ブータン 山の教室』 レビュー

Review

光を感じるために、影を知る。

パオ・チョニン・ドルジ監督のデビュー作『ブータン 山の教室』の主人公ウゲンは、“Gross National Happiness BHUTAN(国民総幸福 ブータン)”とプリントされたTシャツを着ている。ドラマの終盤では、ルナナ村の村長が、「この国は世界で一番幸せな国と言われているそうです。それなのに、先生のように国の未来を担う人が幸せを求めて外国に行くんですね」と語る。

そこから本作の大まかなテーマが見えてくる。経済的な豊かさだけでなく、精神的な豊かさも考慮したGNHを目標に掲げるブータンは、実際には伝統文化と急速に押し寄せる近代化・都市化の波にどう折り合いをつけていくのかという難題に直面している。

では、ドルジ監督はそんなブータンでどんな立ち位置をとり、なぜ舞台にルナナ村を選び、どんな意図でウゲンというキャラクターを作ったのか。ドルジは写真家であり、アジアを中心に各地を旅する放浪者であり、旅で見出した物語を伝える語り部でもある。そんな彼の豊かな体験や世界観は、とてもシンプルに見える本作の物語にも様々なかたちで反映されている。

たとえば、ドルジが自分の写真を紹介しつつ幸福について語るYouTubeの動画(↓)を見ると、彼の経験が本作と深く結びついていることがわかる。彼は、幸福とは今あるものに満足し、無常を受け入れることだと語り、お気に入りの一枚を見せる。そこには傷つき汚れた裸足の大人の足と明るい赤色の雨靴を履いた子供の足が写っている。

それは、ドルジが高地のトレッキングで体調を崩し、地元のヤク飼いの世話になったときに撮った写真だ。ヤク飼いが裸足であることに気づいたドルジが靴のことを尋ねると、彼は裸足の方が楽だし、靴を買うカネもないと答えた。そこに雨靴を履いた子供が現れ、ドルジはその裸足と雨靴のイメージに深く心を動かされた。

そのイメージは本作でも、ウゲンがルナナ村に向かう途中のコイナで宿泊する場面で再現されている。本作にはそんなふうにドルジ自身が旅を通して触れた精神的な豊かさとしての幸福が表現されている。

さらにもうひとつ、本作に影響を及ぼしていると思えるドルジの活動を振り返っておきたい。ブータン出身のドルジは、インドに長く暮らした時期に中国の唐代の僧・玄奘に関心を持つようになった。玄奘は陸路でインドに向かい、多くの経典を持ち帰った。後に中国を訪れたドルジは、今では玄奘が、『西遊記』や孫悟空との関わりで認知されるだけで、その偉業が忘れられていることに驚いた。そこで、敬虔な仏教徒である彼は、玄奘の足跡をたどるという無謀ともいえる旅に出て、5年かけて玄奘の生涯と遺産をテーマにした写真集を作り上げた。

筆者が注目したいのは、その旅を通してドルジがこの世界について学んだことだ。彼はそれを以下のように語っている。

「本当に光のありがたさを知りたければ、影を理解しなければなりません。それがこの旅で得たものです。なぜなら私は、その他の世界から影や暗い場所とみなされているたくさんの地域を訪れたからです。そこに暮らす人々は私たちと変わりません。文化は違っても、内面では愛を分かち合うことができるのです」

“闇の谷”を意味するルナナ村への旅は、まさに影を理解しようとすることだといえる。さらに本作には、玄奘の偉業と同じように、「ヤクに捧げる歌」に代表される伝統歌が忘れ去られようとしていることを危惧し、それを蘇らせる意図も込められている。ドルジ監督は、主人公ウゲンの視点を通して、自身の経験や独自の世界観を巧みに表現している。それは、村人の営みがドキュメンタリーのように生き生きと描かれているとか、村人以外のキャストが歌えることを条件に選ばれ、歌が重要な位置を占めるということを意味するだけではない。

見逃せないのは個人と集団の関係だ。ウゲンの造形でまず印象に残るのは、自分を取り巻く世界を遮断するかのようなスマホやヘッドフォンの存在だろう。そこで思い出されるのは、ブータンでは1999年にテレビ放送が開始されてから短期間のうちにインターネットやスマホが普及し、新しいメディアが特に若者たちに強い影響を及ぼしていることだ。

そんな現代の若者ウゲンが変化していく過程は実に興味深い。コイナで宿泊したとき、ウゲンは勧められた酒を断ろうとする。たとえ遠慮であれ、それを拒むことが非礼にあたるのが彼にはわからない。なぜならそのもてなしは、個人を集団に組み込むための社会的行為でもあるからだ。

しかし、ヤクの糞のありがたさを知ることがきっかけとなって彼は変わっていく。村人にとって多くの基本財を提供してくれるヤクは不可欠の存在であり、そこには深い絆がある。彼はそんな牧畜文化に触れ、「ヤクに捧げる歌」を学び、ヤク飼いの集団に帰属する。つまりそれが、重要なイニシエーション(通過儀礼)になり、たとえ村を離れても内なる帰属意識は変わらない。

もしウゲンがルナナ村に旅することなく海外に出ていたら、彼には語るべき物語もなかっただろう。だが、ラストで「ヤクに捧げる歌」を歌う彼は帰属意識を持つ語り部になっている。

《参照/引用記事》
● Bhutanese photographer retraces enlightening journey of Chinese monk by Xie Wenting | Global Times, 2019/10/24

(初出:『ブータン 山の教室』劇場用パンフレット)

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