ウォルフガング・ムルンベルガー 『ミケランジェロの暗号』 レビュー

Review

名画や制服の価値に支えられた世界やシステムに揺さぶりをかける

ナチスに紙幣贋造を強制されたユダヤ人技術者たちの姿を描き、アカデミー賞外国語映画賞を受賞した『ヒトラーの贋札』。あの作品を手がけたプロデューサー、ヨゼフ・アイヒホルツァーが、再びナチスとユダヤ人が駆け引きを繰り広げる物語を作り上げた。

監督はオーストリア映画を代表するウォルフガング・ムルンベルガー、脚本はオーストリア出身で、ユダヤ系のポール・ヘンゲ。主人公ヴィクトルをモーリッツ・ブライブトロイが、その母親をマルト・ケラーが演じている。

物語の鍵を握るのは、ユダヤ人の画商が密かに所有する国宝級のミケランジェロの素描だ。ナチスはイタリアとの同盟を磐石にするためにこの素描を画商から奪う。


ところがそれが贋作だと判明したときには、画商は息子のヴィクトルに謎のメッセージを残し、収容所で死亡していた。そして、その謎が解けないヴィクトルは、素描の在りかを知っているかのように振舞い、母親の命を救おうとする。

『ヒトラーの贋札』とこの映画には興味深い共通点がある。どちらも人の価値がモノで測られ、しかもそのモノが非常に流動的なのだ。もちろん国宝級の素描は贋札とは違うが、それでもムッソリーニが失脚すれば当面の価値は失われることになる。

人はモノに規定されることで顔を失う。たとえば、ヴィクトルとナチスの一員になったかつての親友ルディの立場が、ある事情で入れ替わるエピソードなどもそれを象徴している。なぜならそのとき彼らは、制服という記号だけで規定されているからだ。

『ヒトラーの贋作』とこの映画は、紙幣や名画、制服などの価値に支えられ、個人の顔が失われた世界やシステムを浮き彫りにし、揺さぶりをかける。そこには、ナチスの時代だけではなく、現代世界の危うさを見ることも可能だろう。

ヴィクトルの父親が残したのは、「視界から私を消すな」というメッセージだった。その言葉は、素描の在りかを示すだけではなく、個人の顔というものの価値や意味を訴えていると解釈することもできる。

(初出:月刊「宝島」2011年10月号、若干の加筆)

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