『きっと ここが帰る場所』 『ブラック・ブレッド』 『星の旅人たち』 試写
- アグスティー・ビジャロンガ, イタリア, エミリオ・エステヴェス, ショーン・ペン, ジュリア・ケント, スペイン, デイヴィッド・バーン, デボラ・カーラ・アンガー, ナチズム, ハリー・ディーン・スタントン, パオロ・ソレンティーノ, フランシス・マクドーマンド, ブルックリン・ライダー, マーティン・シーン, 喪, 宗教, 山, 死, 自然, 風景
本日は試写を3本。
『きっと ここが帰る場所』 パオロ・ソレンティーノ
注目のイタリア人監督パオロ・ソレンティーノ(『愛の果てへの旅』『イル・ディーヴォ』)がショーン・ペンと組んで作り上げた新作。隠遁生活を送りながらもゴスメイクを欠かさないかつてのロックスター、シャイアン(ショーン・ペン)が、父親の死をきっかけにナチスの戦犯を追いかけるというようなストーリーを書いても、なんのことだかわからないだろうし、この映画の独特の世界は伝わらないだろう。
非常にユニークな感性と緻密な計算によって構築された世界は、どのようなところに反応するかによって印象も変わってくるはずだ。筆者はハル・ハートリーとかウェス・アンダーソンをちょっと連想したりしたが、それよりもここでは音楽のことに触れておきたい。
といっても、デイヴィッド・バーンやトーキング・ヘッズの曲<This Must Be the Place>のことではない。確かに、映画のタイトルもそこからとられ、劇中でもバーンがプレイしているのでこの曲はいちばん目立つ。しかし他にも個人的にやたらと印象に残る音楽が使われているのだ。
まずはこのブログでもプッシュしているカナダ出身で、ニューヨークを拠点に活動しているチェリスト、ジュリア・ケント。彼女の最初のソロ・アルバム『Delay』に収められた曲<Gardermoen>が重要な場面で使われているだけではなく、そのあと、2度ほど同じ曲の断片が流れる。
最近とみに弦の響きに敏感になっている筆者は、やってくれるなあとにんまりしていたが、それだけではなかった。今度はケントとは違うが、やはり聴きおぼえがあって、すごくそそられる弦のアンサンブルが流れてきて、それはストリング・カルテットのブルックリン・ライダーのものだった。曲は彼らのアルバム『Dominant Curve』に収められた<Achille’s Heel: II. Second Bounce>。
ブルックリン・ライダーのほうはまだブログで取り上げてなかったが、実はつい2、3日前に彼らのニューアルバム『Seven Steps』を聴いた流れで『Dminant Curve』も聴き直したばかりだった。
このふた組のミュージシャンには共通点がある。どちらもクラシックの修練を積んではいるが、ケントがチェロ中心のゴスバンドRasputinaやAntony and the Johnsonsのメンバーとして活動し、ブルックリン・ライダーが、イラン出身のケマンチェ奏者ケイハン・カルホールとコラボレーションしたり、アルメニアのフォークソングやジプシーの音楽を取り上げるなど、ジャンルに縛られない活動を展開している。
そういうミュージシャンの音楽を選び、見事に映像とシンクロさせているというだけでも、筆者がこの映画に深く引き込まれるには十分だったといえる。
『ブラック・ブレッド』 アグスティー・ビジャロンガ
スペインのアカデミー賞にあたるゴヤ賞で作品賞ほか最多9部門を獲得した話題作。1940年代、スペイン内戦後のカタルーニャの小さな村を舞台に、勝者と敗者の関係が生み出す地域社会の歪みや精神の荒廃を、主人公である少年の視点を通して描き出していく。
前半は、同じく内戦後を背景にした『パンズ・ラビリンス』のようにダークなファンタジーの要素が盛り込まれ、後半では次第に文学的といえそうな表現にシフトしていく。
この映画は、必ずしも限定された時代と場所の状況をリアルに切り取ろうとしているわけではない。
筆者はイニャリトゥ監督の『BIUTIFUL』のレビューで、竹中克行の『多言語国家スペインの社会動態を読み解く』を参照して、スペインの他の地域からカタルーニャに移民が流入する現象について以下のように書いた。
「活発な人口流入は、20年代と60年代という独裁体制下で発生していた。60年代にフランコ独裁政権は、カタルーニャの地方制度を廃止し、カタルーニャ語を禁じ、そこに国家語のカスティーリャ語を話す人々が流入していった。しかし78年の民主化以降、自治権が確立され、カタルーニャ語も復活した」
この映画に描き出される抑圧のイメージは、そうした独裁体制下の現実と呼応しているように見える。
『星の旅人たち』 エミリオ・エステヴェス
エミリオ・エステヴェス監督、マーティン・シーン主演の親子映画。アメリカ人の眼科医トム(マーティン・シーン)のもとに、ひとり息子ダニエルの訃報が届く。ダニエルは、サンティアゴ・デ・コンポステーラ巡礼の初日に嵐に巻き込まれ、不慮の死を遂げた。途方に暮れる父親は、息子の荷物を引き継ぎ、彼の遺灰とともに巡礼の道を歩き出す。
この有名な巡礼路を舞台にした映画といえば、コリーヌ・セロー監督の『サン・ジャックへの道』が記憶に新しいが、筆者はあの作品はまったく楽しめなかった。最も重要な舞台としての巡礼路が、都合のいい物語を語るための単なる背景にされていたからだ。
この映画では、4人の主人公たちが踏みしめる道(原題は「The Way」)から物語が立ち上がってくる。『サン・ジャックへの道』では思い出すことがなかったが、この『星の旅人たち』を観ながら、2005年に熊野の中辺路と伊勢路の一部を一週間ほどかけて歩いたときのことを思い出した。大雲取越で豪雨に見舞われ、しんどい思いをしたが、また行きたくなってしまった。