チョン・ジェホン 『プンサンケ』 レビュー



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Review

ギドクとジェホンは、分断の現実に強烈な揺さぶりをかける

キム・ギドクの凄さは、言葉に頼らず、内部と外部や可視と不可視の境界を示唆する象徴的な表現を駆使して独自の空間を構築し、贖罪や浄化、喪失の痛みや解放などを実に鮮やかに描き出してしまうところにあった。

そんな彼は『悲夢』の撮影中に起こった事故をきっかけに作品が撮れなくなり、久しぶりに発表した『アリラン』でも、自分自身にカメラを向けて喋りまくり、明らかに本質を見失っていた。

しかし、製作総指揮と脚本を手がけたこの『プンサンケ』では、本来のギドクが復活している。

“プンサンケ”とは、38度線を飛び越えて北と南を行き来し、離散家族の最後のメッセージを運ぶ正体不明の男の通称だ。そんな彼のもとに、亡命した北朝鮮元高官の愛人イノクをソウルに連れてくるという依頼が舞い込む。そして、警戒厳重な境界線を極限の状況に追い込まれながら突破していくうちに、ブンサンケとイノクの間には特別な感情が芽生え、彼らは分断という現実に翻弄されていくことになる。


赤外線サーモグラフィをくぐり抜けるために、裸になって身体に泥を塗る。川で溺れかけたイノクに人工呼吸を施す。そこには単に危機を乗り越えようとするのとは異質な触れ合いがあり、境界線はふたりだけの特殊な空間に変わる。

しかもプンサンケは、イノクの前でも、韓国の情報員や北朝鮮の工作員に捕らえられて尋問を受けても言葉を発しない(喋れないのかどうかは問題ではない)。

さらに、ギドクの『絶対の愛』や『ブレス』の助監督から頭角を現したチョン・ジェホン監督の手腕にも注目しなければならない。彼はそんなギドクの世界を生かしつつ、分断の現実を際立たせるような肉付けを施し、エンターテインメント作品として成立させている。

最後に想いを伝えようとする離散家族と分断に支えられ、保身に躍起になる情報員や北朝鮮元高官のコントラストはなんともおぞましい。プンサンケとイノクの関係が悲痛なメロドラマとなっていく一方では、ひとつの部屋に閉じ込められた北と南の手先が壮絶な死闘を繰り広げ、ブラックユーモアが炸裂する。

この映画では、ふたつの才能が生み出す相乗効果が、分断の現実に強烈な揺さぶりをかけるのだ。

(「CDジャーナル」2012年8月号)