今週末公開オススメ映画リスト2013/06/12
- 2013年06月12日
- 映画, 週刊オススメ映画リスト
- アメリカ, イザベル・ユペール, イニシエーション, キム・ギドク, スペイン, ナオミ・ワッツ, ハーモニー・コリン, フアン・アントニオ・バヨナ, ホン・サンス, ユアン・マクレガー, 家族, 映画監督, 格差社会, 自然, 韓国
今回は『インポッシブル』『嘆きのピエタ』『スプリング・ブレイカーズ』『3人のアンヌ』の4本です。
『インポッシブル』 フアン・アントニオ・バヨナ
2004年のスマトラ島沖地震で被災し、苦難を乗り越えて生還を果たした家族の体験に基づく物語です。筆者は以下のようなコメントを寄せました。新聞の広告でご覧になった方がいらっしゃるかもしれません。
「壮絶なサバイバルが浮き彫りにするのは家族の絆だけではない。長男にとって大人になるための重要な通過儀礼になっていることが、ドラマを普遍的で奥深いものにしている。」
この映画が時と場所を超えて私たちに迫り、心を揺さぶるのは、大人になるためのイニシエーション(通過儀礼)が、現代という時代を踏まえて鮮明に描き出されているからです。
そういう意味では、『ハッシュパピー バスタブ島の少女』とともに、イニシエーションなき時代のイニシエーションを描いた作品として出色の出来といえます。
作り手がいかにイニシエーションを意識し、緻密に表現しているかについては、劇場用パンフレットに書かせていただきましたので、ぜひそちらのほうをお読みください。
『嘆きのピエタ』 キム・ギドク
新作におけるキム・ギドクの変化については、『嘆きのピエタ』試写室日記にも書きましたが、少し書き足しておきます。
ギドクの作品については、筆者も含めて観念的な解釈に傾きがちになるところがありますが、この『嘆きのピエタ』の場合は、ドキュメンタリー的な要素を見逃すわけにはいきません。
映画の舞台になっているのは、ソウル市内で零細工場が密集する清渓川(チョンゲチョン)周辺です。そこで思い出さなければならないのが、清渓川の大規模な復元プロジェクトのことです。
日本でも『清渓川復元 ソウル市民葛藤の物語――いかにしてこの大事業が成功したのか』(日刊建設工業新聞社、2006年)、『ソウル清渓川 再生――歴史と環境都市への挑戦』(鹿島出版会、2011年)といった本が出版されています。
『嘆きのピエタ』は、この復元プロジェクトのその後をギドクならではの独自の視点でとらえた作品と見ることができます。月刊「宝島」2013年7月号(5月25日売り)の連載コラムでその部分にも触れたレビューを書いていますので、ぜひお読みください。
『スプリング・ブレイカーズ』 ハーモニー・コリン
ハーモニー・コリンの新作は、ネオンカラーを基調とした映像に夢を想起させるところがあるうえ、ヒロインたちが出会う男エイリアンもアメリカン・ドリームを連呼します。すでにブログにアメリカン・ドリームを切り口として作品に迫った『スプリング・ブレイカーズ』レビューをアップしていますので、ぜひお読みください。
『3人のアンヌ』 ホン・サンス
ホン・サンスとイザベル・ユペールのコラボレーションが生み出すパラレル・ワールド。どこかで繋がっているようにも見える3人のアンヌをめぐる3つの物語。
韓国という異国にやって来た(英語のタイトルは“In Another Country”)フランス人女性アンヌと彼女と出会う韓国人男性とのぎこちないコミュニケーションや勝手な思い込みが笑いを誘います。
どの物語でもアンヌはライフガードに出会いますが、いずれの場合ももうひとりの男が微妙に絡む三角関係があり、それぞれのアンヌの立場や気分によって、相手の態度がうっとうしくなったり、心をくすぐったりします。
そんなドラマから浮かび上がってくる男女の感情の曖昧さはホン・サンスならではだと思いますが、この監督のファンとしてはどこか物足りなさを感じないでもありません。
近作でいえば、『教授とわたし、そして映画』のような現実と映画の関係についての考察とか、『ハハハ』のような現実に対する視点の転換とか、そういうひねりが見られません。
ある事情で海辺の街にいる映画学校の学生が、気まぐれで書き出した脚本からパラレル・ワールドが生まれ、そのなかでは、アンヌが映画監督であったり、愛人が映画監督であったりするというように、映画に絡む仕掛けがあるように見えるのですが、それはあくまで設定にとどまっているように思えます。