ケン・ローチ 『ルート・アイリッシュ』 レビュー

Review

戦争の民営化、冷酷なシステムによって崩壊していく地域社会

ケン・ローチの新作『ルート・アイリッシュ』(10)は、2007年、リヴァプールの教会における葬儀の場面から始まる。主人公のファーガスとフランキーは幼なじみの親友で、ともに兵士としてイラク戦争に参加した。だが、ファーガスが先に帰国し、残ったフランキーは無言の帰宅を果たすことになった。

フランキーが亡くなった場所は、バグダード空港とグリーン・ゾーン(米軍管理区域)を結ぶルート・アイリッシュ、イラクで最も危険な区域だった。関係者は、まずいときにまずい場所にいたという説明を繰り返すが、ファーガスは納得することができない。

それは激しいショックで自制心を失っているからだけではない。フランキーが亡くなった日、ファーガスの電話には「大事な話がある」という親友からの切迫したメッセージが残されていた。さらに、フランキーが残した携帯電話によって疑惑は決定的となる。そこには、フランキーが行動をともにしていた兵士ネルソンによって罪もない民間人が殺害される瞬間が記録されていた。


この映画を観ながら、ポール・ハギスの『告発のとき』を思い出す人もいることだろう。確かに設定や細部に似たところがある。『告発のとき』では、主人公の退役軍人が、イラクから帰還した息子の無許可離隊と焼死に疑問を持つ。彼が真相に迫る過程では、携帯電話に残された映像が手がかりになる。

しかし、同じイラク戦争を題材にした映画でも、ポール・ハギスとケン・ローチが描き出そうとしているものはまったく違う。『ルート・アイリッシュ』のファーガスやフランキーは正規の軍人ではない。戦争や戦後復興をビジネスとする企業が派遣したコントラクター(民間兵)なのだ。

そこで、筆者が映画を観ながら思い出していたのは、『グリーン・ゾーン』のことだった。といっても映画ではなく、ラジブ・チャンドラセカランが書いたノンフィクションのことだ。本書では、グリーン・ゾーンを通して、戦争と政治とビジネスの繋がりが浮き彫りにされている。冒頭から以下のような記述が並んでいるのだ。

外注できるものは何であれ、外注された。イラク国内の町議会や市議会を立ち上げる作業はノース・カロライナ州の会社が二億三六〇〇万ドルで受注した。ブレマー総督を護衛するのも傭兵で、一日一〇〇〇ドルの報酬を受け取っていた。共和国宮殿の日常業務――三度の食事から、電球の交換、洗濯、植物の水やりまで――の一切合財を引き受けたハリバートン社には、巨額が支払われた

グリーン・ゾーンそのものも、バグダード市内のリトル・アメリカへと急激な変貌を遂げていく。共和国宮殿内で働く誰もが、住まいこそ高級ホテルのアルラシードから白塗りのトレーラーハウスまでさまざまでも、ともかくグリーン・ゾーン内で暮らした。建設業大手のベクテル社、電機のゼネラル・エレクトリック社、基地設営のハリバートン社などで働く何百人もの下請け業者、それに下請け業者たちの護衛に雇われた数知れない傭兵たちは、グリーン・ゾーン内にトレーラーハウス村を作った

こうした記述に出てくる傭兵、民間兵は、高額の報酬を得られるが、危険もともなう。それを世界に知らしめたのが、2004年3月にファルージャの町中で起こった惨劇だろう。

ノースカロライナに本社があるブラックウォーター・セキュリティー・コンサルティングの社員四名は、海兵隊に事前の連絡もせず、補給車をエスコートして、イラクで最も危険な町ファルージャを通る近道を走っていた。そのとき店のドアの陰から飛び出してきた男が車に銃弾を浴びせた。社員たちは全員戦場には慣れていたが、車には何の防弾装備もなく、反撃するひまもなかった。その犯人たちが逃走すると、男たちや少年たちが集まってきて、この社員たちを切り刻み、黒焦げにし、橋に吊るした。(ビング・ウェスト『ファルージャ 栄光なき死闘』を参照)

話を『グリーン・ゾーン』に戻すと、ポール・グリーングラスの映画の方はノンフィクションの内容とはまったく違ったものになった。ただし、『グリーン・ゾーン』レビューに書いたように、映画には、別のソースから引き出された様々な事実の断片が散りばめられ、大量破壊兵器とイラク戦争をめぐるアメリカ政府の内実がグリーン・ゾーンに集約され、違う意味で見応えのある作品になっていた。

一方、ケン・ローチの『ルート・アイリッシュ』では、映画の『グリーン・ゾーン』が描くのを避けた世界が描き出される。ローチがそうしたテーマを強く意識していたことは、プレスに収められた以下のようなコメントから察することができる。

「当然の結果として、兵力も民営化されました。もちろん安いからです。常備軍を維持する必要もありません。ただコントラクターを雇えばいいのです。もし彼が死ねば、それまでです。軍人が死んだら、遺族への義務が生じます。年金も払わなければなりませんし、基地も維持しなければなりません。その点、コントラクターであれば安いし、死んでも面倒はないというわけです」

だが、ローチと脚本家のポール・ラヴァーティは、戦後の復興事業で暴利をむさぼる企業を単純に批判するような映画を作ったりはしない。

ファーガスが真相に迫っていく過程で重要になるのは、彼の内面の変化だ。もともとフランキーをコントラクターの仕事に誘ったのはファーガスであり、彼は激しい罪悪感に苦しめられている。さらに戦場の実態に迫っていくほどに、彼の精神を蝕む心的外傷後ストレス障害の兆候も露になっていく。彼が真実を見極められる状態にないことは、非道な拷問に走り、取り返しのつかない過ちを犯すことで明らかになる。そして、イラクだけではなく、リヴァプールが戦場に変わっていく。

この映画のなかで起こることは、冒頭の葬儀の場面で暗示されていたともいえる。フランキーの死を悼むために集まった人々の言葉には訛りがある。だが、フランキーが雇われていた警備会社の経営者ヘインズの弔辞にはそういう訛りがない。そのヘインズは、優秀な人材を見かけると、場もわきまえずに名刺をさしだし、スカウトしようとする。

このヘインズのような人物が象徴する冷酷な合理化や民営化のシステムによって地域社会が崩壊していく。それは、ローチがこれまで描いてきた世界としっかり繋がっている。