想田和弘監督インタビュー 『演劇1』『演劇2』:虚構とリアル―人間はなぜ演じるのか その二
(想田和弘監督インタビュー 『演劇1』『演劇2』 その一からのつづき)
演技する平田オリザ
要するにこの映画では、観察する立場にあるのは想田監督だけではない。平田オリザもまた観察することでリアルを生み出している。
「平田さんも観察者だと思うんです。たぶん一から台詞を考えるのではなく、普段の生活で見たことを記憶していて、膨大なデータベースが頭のなかにあるんだと思います。そこからいろいろ引き出して台本を構築する。演出するときにも俳優の動きなり、喋り方なりを観察することによって、台本をアジャストしていくわけですね。そういう意味では、この映画には『観察者を観察する』みたいな入れ子構造がある(笑)。それから平田さん自身もものすごく演技をされていると思うんですよ。とにかくカメラの無視の仕方が尋常じゃない。普通の人は『カメラを無視する』と言っても、ときどき僕のことをチラッと見たり話しかけたりするものなんですが、それもない。あそこまで無視するというのはやっぱり不自然なんです(笑)。でも振る舞いは演技に思えないくらい自然なんです。だから『僕はいまなにを撮っているんだろう?』と考え込んでしまった。つまりドキュメンタリーのカメラは何を映すのか、という難問にぶち当たった」
『演劇1』で平田は、人間とは演じる生き物だと語っている。演じることは虚構のはずだが、それが人間の本性であるなら、リアルということになる。この映画がリアルに感じられるのは、そんなパラドックスをしっかりととらえているからだろう。
「実際、僕らは常に演じながら社会生活を営んでいますよね。だから人間が演じるという側面をとらえていくことは、人間とはなにかをとらえていくことでもあるわけで、どんどん深みにはまっていくんですよ。僕がなぜカメラを媒介にして現実と向き合おうとするのかといえば、やはり現実をある種の虚構に落とし込むことによってしか、『リアル』に近づけないような気がするんですよ。人間は虚構を通じてしか現実を把握できない、というか。たぶん平田さんも、そういうことで演劇を作っているんじゃないかな。あと、あのサプライズ・パーティにしても、大の大人がみんなはしゃいで志賀さんを騙すことに熱中するわけですけど、そういうところに演劇の原初的な形態や、『なぜ人は演じるのか』という問いへの糸口を感じますね。演劇は少なくともギリシャ時代にはもうあったわけですけど、その理由が何となく分かる」
広場としてのアゴラ劇場
この映画では、平田と青年団が活動する「こまばアゴラ劇場」の看板が何度も映し出される。“アゴラ”とは、古代ギリシャの都市国家のなかで重要な位置を占めていた広場を意味する。それを踏まえるなら、2部作はそれぞれに、広場が生み出すものと、社会における広場の役割を明らかにし、広場が持つ意味を検証していると解釈することもできる。なぜならいまでは広場が、そこまでの求心力をもち得ないエンタテインメントに変わっているからだ。
「それ、素晴らしい解釈ですね。感動しました。あの小さな劇場は、本当にアゴラという言葉通りの場所になっていますよね。いま、お金を稼ぐための消費財としてのエンタテインメントがものすごく力を持っていて、それは別にいいんですけど、演劇や映画を作ることの本質とはずれている気がします。芸術って、もともとは資本主義的価値観とは相容れないものですよね。お金が最上位にある価値ではない。僕が平田さんの演劇に惹かれたのもそこが大きくて、彼は芸術作品を作りたいという根源的な欲求を一番大事にしている。あれだけいろいろ組織の効率化をはかり、資本主義的な価値観に合わせて動き回っているように見えるんですが、演劇に対してはものすごくストイックというか、妥協がないなんですよね。アゴラ劇場も、演劇をすることの欲求から生まれている場だという感じがあって、そういう意味では本当に広場なんでしょうね」
『選挙』『精神』と本作の交差
想田監督の観察映画は、それぞれに題材が異なり、独立した作品になっていると同時に、以前に扱った題材が、その後の作品の細部に引き継がれ、クロニクルといえるような連続性を持ち合わせているところも見逃せない。
「多かれ少なかれ前に描いたテーマが、自分の意識に影響してくるんですね。例えば『選挙』で政治家の世界を描いたので、今回も平田さんが民主党の政治家と会合を持ったり、鳥取市長や鳥取県知事にアピールしている現場に立ち会うと、自分のなかでアンテナがピッと立って、撮影にも気合が入ってしまうわけですよ(笑)。その結果、『選挙』で奏でた主旋律みたいなものが、『演劇』にも変奏曲のように表われてくる。あと、平田さんがメンタルヘルスの会合で講演をされたりするのも、『精神』と『演劇』の交差点ですよね。しかも平田さんが作るロボット演劇は、心の問題で働けないニートのロボットが主人公。それは僕が符合するものを探そうとしているわけではなくて、どうしても目につく、出会ってしまうわけですよ」
以前、想田監督にインタビューしたとき、温めている企画は10も20もあり、そのなかでたまたま日本を舞台にした企画が連続して具体化したと語っていたが、今後についてはどんな展望を持っているのだろうか。
「いまは日本に興味がありますね。これまで日本を見てきた結果としての連鎖反応もあって、奥へ奥へとはまっていっている感じ。ただ、いま観察映画以外の企画も進行中で、それはチェコとスロバキアと日本が舞台なんですよ。デンマークの映画祭が、ヨーロッパと非ヨーロッパのドキュメンタリー監督をペアにして作品を撮らせる企画で、僕はスロバキアのピーター・ケレケシュ監督と組むことになった。彼はものすごくリサーチする人で、(主催者は)僕と真逆のアプローチをする監督をわざと組ませたんだと思います。共産主義政権下の日本人とチェコ人の恋物語がテーマなんですが、リサーチ抜きにはできない題材なので、とにかく相棒のやり方に乗っかって、どうなるのかを楽しんでます。観察映画の方も続けますが、大長編を終えてひと息つきたいという思いがあり、岡山の海辺の町でしばらく休暇を取ることにしています」
(初出:「キネマ旬報」2012年10月下旬号)