一尾直樹 『心中天使』レビュー



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Review

携帯やネットが生み出す形而上学的変異によって人と人の繋がりや世界はどう変わるのか

『心中天使』(10)は、一尾直樹監督にとって劇場デビュー作『溺れる人』(00)に続く2作目の長編劇映画となる。

名古屋を拠点に活動する一尾監督の作品には共通点がある。まず、地域性が前面に出てくることがない。ドラマの背景になるのは、均質化した社会の日常だ。そしてもうひとつ、平凡な日常のなかに、常識的にはあり得ないと思えるようなことが起こる。

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『心中天使』 2月5日(土)より渋谷ユーロスペース、2月19日(土)より名古屋シネマテーク、小牧コロナシネマワールド、安城コロナシネマワールド、ほか全国順次ロードショー (c)2010「心中天使」製作委員会

たとえば『溺れる人』では、マンションに暮らすひと組の夫婦の生活が描かれる。その生活はありふれたものであり、地域性も見られない。だが、映画の冒頭で奇妙なことが起こる。妻が浴槽で溺れ死ぬ。但しそれは、あくまで浴槽の湯に頭まで浸かっている彼女を発見した夫にとっての現実である。なぜなら、夫が死んでいると思った妻は、翌朝には何事もなかったかのように目覚め、普段どおりに生活しているからだ。

妻に一体なにが起こったのか。彼女は本当に死んでいたのか。この映画では、それは必ずしも重要ではないし、真相らしきものが明らかにされるわけでもない。

この出来事は夫婦の関係を見つめなおすきっかけとなる。妻が一度死んだと思う夫と妻の間には溝ができる。夫には妻の手が異様に冷たいように感じられる。妻は生ものが食べられないにもかかわらず、夫の好物である刺身を食卓にのせる。夫はビデオカメラを使って密かに妻の様子を監視する。

その溝は妻が溺れたことから生まれるわけではない。おそらくそれ以前から存在していたものが、表面化するのだ。いや、正確には表面化するだけではなく、死を通して二人の世界の違いが明らかになる。彼らが感じるのは、いずれも恐怖や絶望ではない。

妻は浴槽で溺れたときに、夢のなかの世界を彷徨っていて、死が夢見るようなものだとすればそれも悪くはないように思っていた。夫の方は、妻が死んだことによって、彼女が完全に自分のものになったと密かに感じていた。それは、二人の世界が根本的に乖離していることを物語っている。

『心中天使』は、社会やコミュニケーションの変化を踏まえながら、乖離した世界のその先を描く作品と見ることもできるだろう。

両親と実家で暮らし、ピアノを教え、リサイタルに備えるアイ。妻子と別れ新しい恋人と付き合っている会社員のユウ。母子家庭に暮らし、奔放な母親とその恋人を醒めた目で見ている女子高生のケイ。お互いのことを知らず、異なる場所で暮らす三人の心に、時を同じくして空から「なにか」が降ってくる。

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その日を境に彼らは奇妙な思いにとらわれる。なにか大切なものを忘れていて、それをどうしても探し出さなければならないと。そんな主人公とそれぞれの家族の間には溝が生まれ、家族は戸惑うばかりで、どうすることもできない。

この映画の英語のタイトルである“Synchronicity”が示唆するように、主人公たちは本人が意識することもないまま、共時性によって繋がっていく。彼らの意識は空へと向かい、同じメロディが頭のなかに響き、小説の同じ一節が思い浮かぶ。

これまでの世界から乖離した彼らの前には、別のかたちで繋がるための、もうひとつの空間や回路が開ける。彼らは離れて暮らしているにもかかわらず、近くに存在しているように見えてくる。そして、彼らのなかで世界の在り方がまったく違ったものになる。アイは家の屋上から落下するが、それでも飛べることが当然であるかのように感じている。

一尾監督は、携帯やネットが変える人と人の繋がりを、リアルに描くのではなく、まったく違った感覚で表現している。そんなアプローチは筆者に、ミシェル・ウエルベックの『素粒子』を思い出させる。ウエルベックはこの小説のなかで、“形而上学的変異”という言葉を使って「大多数の人間に受け入れられている世界観の根本的、全般的な変化」を表現している。具体的には、キリスト教と近代科学の登場による変化がそれにあたる。そして、この小説の主人公は、第三次形而上学的変異の推進者となっていく。

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『心中天使』に描き出される主人公とその家族の世界の乖離は、単なる価値観の違いではなく、この形而上学的変異に近い。だから、いかに両親や恋人に思いやりや愛情があったとしても、世界を共有することはできない。「思い」がシンクロしたアイとユウは、自分があるべき世界で生きるために変異に身を委ねる。

興味深いのは、もうひとつの世界と繋がっていながら、こちら側に留まるケイの存在だ。おそらくこれまで非常に醒めた眼差しで人や世界を見つめていた彼女には、この変異によってはじめて人への関心が芽生える。だから、向こう側に旅立つのではなく、あらためて家族というかたちのなかで生きようとするのだろう。

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