『ゼロ・ダーク・サーティ』 試写
本日は試写を1本。
本当はエマヌエーレ・クリアレーゼ監督の『海と大陸』との2本立ての予定で家を出たのだが、駅に着いたらいくつか先の駅で発生した人身事故のせいで電車が止まっていた。乗車したまましばらく待っていたが、すぐには動きそうにないので1本目は諦めることにした。
こういう観ようと思ったときに観られなかった作品は往々にして最後まで試写に行けなかったりする。ちなみに逃したのはこういう↓映画だ。
『ゼロ・ダーク・サーティ』 キャスリン・ビグロー
ビンラディン殺害に至る軌跡を描いたキャスリン・ビグローの新作。プレスの[PRODUCTION NOTES]によれば、ビグローと脚本家のマーク・ボールは、2006年に、トラボラで失敗したビンラディン捕縛作戦についての映画を企画していたという。その後、彼らは『ハート・ロッカー』を完成させ、2011年に新作の製作に入ったが、5月1日にビンラディンが殺害されたためにその企画はボツになり、一からやり直すことになった。
このトラボラの捕縛作戦に対してビグローとボールがどんな関心を持っていたのかというのも気になる。かなり興味深い題材だと思う。アメリカは圧倒的な空軍力でタリバンを叩き、トラボラでビンラディンは袋のねずみ同然になっていた。ところがなぜか大規模な地上軍の投入は見送られ、みすみす取り逃がすことになった。
地上軍の態勢が整っていなかったわけではない。たとえば、ピーター・L・バーゲンの『Manhunt:The Ten-Year Search for Bin Laden from 9/11 to Abbottabad』によれば、すぐに投入できる兵が約2000人待機し、さらにカンダハール近郊やウズベキスタンにもそれぞれ1000を越える兵が待機し、ノースカロライナでもトラボラに飛ぶために態勢が整えられていた。当時もブッシュ政権はビンラディンを捕らえる気がないのではないかという疑問の声が上がっていた。
脅威が残るほうが将来的なアメリカの国益に繋がると考えて、あえてビンラディンを泳がせたと疑われても仕方がない。もっともブッシュ大統領は捕縛作戦が行われているさなかに、イラクへの戦争計画を立案せよという指示を出して、フランクス中央軍司令官を唖然とさせていたようなので、関心がフセインに移っていたとも考えられる。
そういうところを突くような映画を考えていたのだとしたら、ビンラディン殺害後でも意味が失われるわけではないだろう。
いずれにしても、その企画がボツになったことで、ビグローとボールは新しいテーマを獲得したといえる。『ゼロ・ダーク・サーティ』のキャッチフレーズは「ビンラディンを追い詰めたのは、ひとりの女性だった――」だが、これは微妙にズレている気がする。確かにジェシカ・チャステインが演じるマヤにはモデルがいるのだろうが、そのモデルを反映しただけのキャラクターには見えない。
先に触れたピーター・L・バーゲンの『Manhunt』で言及されているように、ビンラディンの捜索では、実際にCIAの女性情報分析官たちが重要な役割を果たした。というよりもそれ以前から、CIAという組織における女性の立場や役割が変化していた。この映画ではあえてマヤの背景をぼかすことによって、彼女が象徴的な存在になっている。
ちなみに、ジェイソン・ボーン三部作では、CIAのなかの男性と女性の間に一線が引かれ、後半に進むにしたがって、ニッキー・パーソンズ(ジュリア・スタイルズ)やパメラ・ランディ(ジョアン・アレン)という女性キャラクターが次第に際立つようになり、ボーンをサポートしていくところが興味深かった。
ビグローがトラボラの捕縛作戦を題材にした映画を作っていたら、こうしたテーマが浮かび上がってくることはなかっただろう。明らかに彼女にはこちらのテーマの方が相応しい。他の監督であれば、物議を醸す題材だけに、説明だか言い訳だか判然としない夾雑物を入れ込みそうだが、彼女は気持ちいいくらい潔く余計なものを捨て、緊迫感に満ちた状況を積み重ね、一点突破で凄まじいダイナミズムを生み出している。(その意味についてはまたあらためてレビューにまとめたい)
それにしてもジェシカ・チャステイン、前からお気に入りの女優だが、タフでクールでかっこいい。