Jana Winderen 『Energy Field』 レビュー

Review

音の世界に生きることへの想像力を喚起するサウンドスケープ

ノルウェー出身のJana Winderenは、90年代前半から主にサウンド・インスタレーションの分野で活動しているサウンド・アーティスト、プロデューサー、キュレーター、ディレクターだ。

彼女は4年に渡ってグリーンランド、アイスランド、ノルウェー、バレンツ海を踏査し、氷河のクレバスの深部やフィヨルド、外洋でフィールド・レコーディングを行ってきた。Touchレーベルからリリースされたアルバム『Energy Field』は、その音源をもとに作られた作品で、<Aquaculture 17:51>、<Isolation / Measurement 11:41>、<Sense of Latent Power 20:19>の3曲が収められている。

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Energy Field

そんなフィールド・レコーディングなかでも特に興味深いのが、ハイドロフォンを使って採取される海中の音だろう。彼女はできるだけ深い場所で音を採取しようと試み、最近ではケーブルの長さが90メートルにもなっているという。

では、彼女が魅了される海中の音とはどのようなものなのか。まずは基本的なことを確認しておくべきだろう。

「空気は透明なので、晴れた日には数十キロも遠くまで見える。大気中はまさに視覚の世界である。しかし、海中では五〇メートルも潜ると日光は届かず、昼でも薄暗い。一〇〇メートル以上では真っ暗闇で、視覚はまったく無用になる。また海の表層でも、餌を目で識別できるのは、いかに透明度が高い海でも数十メートル先までである。まして揚子江やアマゾン川など泥水の川では、視覚はまったく役に立たない。そのためにカワイルカの目は退化して、わずかに明暗がわかる程度であるという」(『脅威の耳をもつイルカ』森満保[岩波書店、2004年])

「海中は暗闇の世界と言ったが、実は音の世界なのである。暗の字は小さな日と大きな音と書く。闇の字も門の中に音と書く。暗闇には音しかないことを意味する漢字である。
空中では音はすぐに弱まり、よほど大きな音でない限り数キロも届くことはない。しかも音が伝わる速さ、すなわち音速も一秒間に約三四〇メートルである。一方、水中では、音は数百キロから数千キロも遠くまで伝わり、その水中音速も一秒間に約一五〇〇メートルと空中音速の約四倍も早い」(前掲同書)

しかし、これだけの知識ではまだ足りない。Winderenは、1984年から89年にかけてノルウェーのオスロ大学で、数学、化学、魚類生態学などを学んでいる。その後も海洋生物学者などから知識を吸収している。

海中は音の世界であり、海洋生物は音を使って環境に適応し、音でコミュニケーションする。Winderenは、そんな見ることはできないが、音で感知することができる世界に強い関心を持っている。そこで、この音の世界をもう少し掘り下げてみたい。

「水生動物は、まわりの環境の様々な流体力学的乱れを経験する。表面の波、降雨、乱流、および動物の摂食や遊泳など、信号を出すすべての物は異なる音を出す。音は(それが空気や水に関係なく)流体の流れの中の歪みであり、生物またはその一部が流れに関係して動く時に生じる。これらの音は周波数が異なる。遊泳と摂食ノイズは50Hzまで、発生は50~400Hz、海産哺乳類によるエコロケーションは150Hz以上の範囲にある。これらの振動の多くは偶発的に生じるが、他はコミュニケーションを目的にした計画的なものであり、波長(λ)や周波数が異なる。それらはどのようにして水中を伝達されるのだろうか? 歪みや音は、起点からの音圧の波として伝わる。それらは拡がりながら、乱れの原因の振幅、周波数、および方向についての情報を運ぶ。音波は、水中では空中より約4.3倍速く移動する。したがって、特定の音の周波数に属する波長は海水中で4.3倍長く、後でわかるように、それは反響定位(エコロケーション)と聴覚に重要な意味を持つ」(『深海の生物学』ピーター・ヘリング 沖山宗雄訳 [東海大学出版会、2006年] )

「音を聞くことのできる魚類は、例えば遊泳ノイズ(特に魚類の群れ)、摂食ノイズ(例えば、ブダイ類がサンゴ類をガリガリ削る音)、および他の動物が故意に出すノイズなどの背景のノイズと対比して音を聞かなければならない。聴覚が分化したすべての魚類(聴覚スペシャリスト)が発音漁とは限らないため、背景の音響「像」を知覚すること自体が貴重な能力であるらしい。少数の魚類だけが発声、すなわち意図的に音を出すが、その能力は類縁でない群れにも存在する。魚類の音は50~5000Hzまでの範囲にあり、大部分は100~800Hzの間にある。歯や鰭を一緒にこすったり(カワハギ類モロコシハギ属とイサキ科またはイサキ類)、鰓から水を押しやって(一部のハゼ類とギンポ類)音を出すものがいる。更に、中には鰾をドラムとして使うものがある。モンガラカワハギ類の仲間は鰭で鰾を叩くが、多くの魚類(例えば、深海のソコダラ類とイタチウオ科;マダラ、ハドック、セイス(saithe)のようなタラ類;浅瀬のニベ類、マトウダイ類、およびホウボウ類のPrionotus属)は、直接鰾の上または近くの小骨や靭帯に挿入される特化した発音筋を持つ。これらの魚類の多くは異性に信号を送るために音を使い、しばしば発音系に顕著な性的二型がある。例えば、深海ではソコダラ科、イタチウオ科の1群、およびアシロ科のBarathrodesmus属の雄だけに発音筋がある。そのうえ、ソコダラ科の雌雄は、おそらく音を探知するための大きな球形嚢耳石を持つ」(前掲同書)

Winderenもインタビューで、タラが音で異性を選ぶといったことを語っていた。『Energy Field』には、甲殻類やタラ、ポラック、ニシンなどの摂食、求愛、環境への適応にまつわる興味深い音が収められている。しかし、彼女は科学者ではないし、これは学術的な研究でもない。一方で彼女は、ロンドンのゴールドスミス・カレッジ他でファイン・アートを学んだアーティストでもある。だからフィールド・レコーディングで採取した音源を作曲のための素材と位置づけ、重ねたり編集することで独自のサウンドスケープを構築していく。

このアルバムには海中で採取された音だけではなく、ワタリガラスや犬の鳴き声、吹きすさぶ風、寄せては返す波、氷河の下を流れる水、崩落する氷河など、彼女を取り巻く環境が奏でる様々な音がミックスされている。

R・マリー・シェーファーは『世界の調律』のなかでこのように書いている。

「西洋においては、ほぼルネサンス期に、印刷技術と遠近法の発達と共に、耳は目にその最も重要な情報収集器としての地位を譲り渡した」(『世界の調律―サウンドスケープとはなにか』R・マリー・シェーファー 鳥越けいこ他訳[平凡社、1986年])

さらにシェーファーは、J・C・Carothersの“Culture, Psychiatry, and the Written Word”から、以下のような文章を引用している。

「農村地帯のアフリカ人は、おもに音の世界に生きている。その世界とは、そこに住む人間がある音を聞いた場合、その音が直接彼自身に関わる意味を持っているような世界である。それに反し、西欧の人間は、彼自身とは概して関わりのない視覚的世界に住んでいる。……西欧では音のこうした意味の大部分が失われている。西欧では、人は音を全く気にしない驚くべき能力を持つことが多いし、また持たねばならないのである」

『Energy Field』には、海中に広がる音の世界だけではなく、かつて存在した音の世界に対する想像力も喚起するようなサウンドスケープが広がっている。

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