ペドロ・アルモドバル 『私が、生きる肌』 レビュー
自己と他者を隔てる決定的な境界としての“肌”
ペドロ・アルモドバルの近作では、様々なアプローチで死と再生というテーマが掘り下げられてきたが、新作『私が、生きる肌』も例外ではない。この映画では、のっけから事情もわからないまま奇妙な状況に引き込まれる。
天才的な形成外科医ロベルが所有する研究所も兼ねた豪邸に、ベラと呼ばれる女性が幽閉されている。豪邸にはマリリアという初老のメイドも住み込み、ベラの世話をしている。
ある日そこに長く音信不通だったマリリアの息子セカが現れる。彼は監視モニターに映るベラを目にすると、誰かを思い出したように欲望をむき出しにし、彼女を力ずくで自分のものにする。そんな野獣の息の根を止めたのは、帰宅したロベルが放った銃弾だった。