ジェームズ・グレイ 『エヴァの告白』 レビュー

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ジェームズ・グレイでなければ描けないアメリカン・ドリームの物語

ジェームズ・グレイ監督は新作『エヴァの告白』以前に4本の作品を監督しているが、この新作の魅力に迫るためには、彼が旧作でどのような世界を切り拓いてきたのかを振り返っておいたほうがよいだろう。というのも新作では、これまでにない新しい要素と旧作に見られた要素が結びつき、ドラマに深みを生み出しているからだ。

グレイ監督の世界の特徴は、その題材とドラマツルギーによく表れている。グレイの祖父母はロシアからアメリカに渡ったユダヤ人で、彼はユダヤ系の家族というものに強いこだわりを持っている。だから、デビュー作の『リトル・オデッサ』(94)や前作の『トゥー・ラバーズ』(08)では、ロシア移民が多く暮らすニューヨークのブライトン・ビーチを舞台に、ユダヤ系の家族の物語が描かれ、3作目の『アンダーカヴァー』(07)でも、ユダヤ人の血筋が隠れたポイントになっている。

グレイは、そんな家族の物語を独特のドラマツルギーで描き出す。彼はフランシス・フォード・コッポラやマーティン・スコセッシが頭角を現した70年代のアメリカ映画に多大な影響を受け、南カリフォルニア大学のスクール・オブ・シネマティック・アーツで映画を学んだ。しかし、それだけの素養ではヴェネチア国際映画祭で銀獅子賞に輝いた『リトル・オデッサ』を撮ることはできなかっただろう。何も知らずにこの映画を観た人は、とても25歳の監督の作品とは思えないはずだ。それほどに完成度が高く、複雑な感情が表現されている。

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リティ・パニュ 『消えた画 クメール・ルージュの真実』 レビュー

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「下からの歴史」を炙り出すために

■ 大げさな観念を展開せず

カンボジアでは70年代後半にクメール・ルージュ(カンボジア共産党)の支配下で、150万とも200万ともいわれる人々の命が奪われた。プノンペン生まれのリティ・パニュは、10代半ばでこの悲劇を体験し、親兄弟や親族を亡くし、逃亡することで生き延びた。カンボジアとの国境に近いタイの難民収容所を経てフランスに渡った彼は、やがて映像作家となり、一貫してクメール・ルージュによるジェノサイドを題材にしたドキュメンタリーや劇映画を作り続けてきた。

新作『消えた画 クメール・ルージュの真実』でもその姿勢に変わりはないが、明らかにこれまでの作品とは異なる点がある。まず、パニュ自身の体験が直接的に語られている。しかも、その表現が独特だ。犠牲者が葬られた土から作られた人形たちを使ってかつて少年が目にした光景が再現され、アーカイブに残されたプロパガンダの映像と対置される。ナレーションに盛り込まれた回想や検証が二種類の映像と呼応し、動かない人形に生気が吹き込まれ、プロパガンダ映画の中の人々との間に皮肉なコントラストを生み出していく。しかしこの映画で注目しなければならないのは、そうした要素をまとめ上げている独自の感性だ。

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アブデラティフ・ケシシュ 『アデル、ブルーは熱い色』 レビュー



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階層と成長期に培われる価値観、食と集団をめぐるドラマに見るケシシュの世界

カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いたアブデラティフ・ケシシュ監督の『アデル、ブルーは熱い色』は3時間の長編だが、物語そのものはシンプルだ。

高校生のアデルは、道ですれ違ったブルーの髪の女に一瞬で心を奪われる。再会を果たした彼女は、画家を目指す美学生エマにのめり込んでいく。数年後、夢を叶えて幼稚園の先生になったアデルは、画家になったエマのモデルをつとめながら彼女と生活を共にしているが、やがて破局が訪れる。

チュニジアで生まれ、南仏ニースで育ったケシシュは、マグレブ系移民を作品に登場させても、国家や文化をめぐる単純な二元論に落とし込むのではなく、共通性を掘り下げ、より普遍的な世界を切り拓いてきた。

そうした姿勢は、新作にも引き継がれている。独自の美学に貫かれたラブシーンが鮮烈な印象を残す“ガール・ミーツ・ガール”の物語ではあるが、同性愛がテーマになっているわけではない。

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ケイト・ショートランド 『さよなら、アドルフ』 レビュー

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ナチス・ドイツ時代の少女の物語に自分の世界観を反映して

■デビュー作から8年の歳月を経て■

オーストラリアの女性監督ケイト・ショートランドにとって2作目となる『さよなら、アドルフ』の舞台は1945年春、敗戦直後のドイツだ。ナチス親衛隊だった父と母を連合軍に拘束された14歳の少女ローレは、妹のリーゼル、双子の弟のギュンターとユルゲン、まだ赤ん坊のペーターを従え、900キロ離れた北部のハンブルクにある祖母の家を目指し、荒廃した国内を縦断していく。

ナチスの関係者はたとえ子供であっても冷たくあしらわれる。そんななか、飢えや病で窮地に立つ彼らに救いの手を差し伸べたのは、トーマスというユダヤ人の青年だった。

ショートランド監督は2004年に発表したデビュー作『15歳のダイアリー』でオーストラリア映画協会賞を総なめにした。

この映画では、母親の恋人を誘惑しているところを見つかり、家を飛び出した15歳の少女ハイジが、当てもなくたどり着いたスキーリゾート地で自活し、傷つきながら成長を遂げていく。本格的に映画作りを学ぶ前に大学でファインアートと歴史の勉強をしていたショートランドは、ナン・ゴールディンやゲルハルト・リヒター、ビル・ヘンソンらの作品を意識し、手持ちカメラを駆使した映像によって、孤独と欲望の間を不安定に揺れる少女の世界を鮮やかに浮き彫りにしてみせた。

このデビュー作と本作には共通点がある。『15歳のダイアリー』の冒頭では、風に揺れる洗濯物の隙間に少女の姿が垣間見られ、『さよなら、アドルフ』では、髪を洗って窓辺に立つ少女の後姿がレースのカーテンの向こうに浮かび上がる。ヒロインたちのそんな曖昧な輪郭は、彼女たちが現実の真っ只中に放り出されることによって明確にされていく。どちらの作品でも少女のイニシエーション(通過儀礼)が独自の美学で描き出される。

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ウォルター・サレス 『オン・ザ・ロード』 レビュー

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「彼」の内面が浮き彫りにされた映画『オン・ザ・ロード』の世界

ウォルター・サレス監督の『オン・ザ・ロード』は、1947年のニューヨークから始まる。1947年とは、アメリカの外交政策立案者だったジョージ・F・ケナンの論文「ソ連の行動の源泉」が発表され、冷戦における封じ込め政策が形作られる時期にあたる。その政策によってアメリカに全体主義的な風潮が広がり、家族や個人にも大きな影響を及ぼした。

ステファニー・クーンツの『家族という神話』では、それが以下のように表現されている。

冷戦下の心理的不安感が、家庭生活におけるセクシュアリティの強化や商業主義社会に対する不安と混じり合った結果、ある専門家がジョージ・F・ケナンの対ソ封じ込め政策の家庭版と呼ぶ状況を生み出したのである。絶えず警戒を怠らない母親たちと「ノーマルな」家庭とが、国家転覆を企む者への防衛の「最前線」ということになり、反共主義者たちは、ノーマルではない家庭や性行動を国家反逆を目的とした犯罪とみなした。FBIやその他の政府機関が、破壊活動分子の調査という名目で、前例のない国家による個人のプライバシーの侵害を行った

この映画にも、反共主義者がテレビを通してプロパガンダを行っている様子が描かれている。もちろんそれは主人公たちとも無関係ではない。なぜなら、「ノーマルでない家庭や性行動」は、共産主義者と同様の反逆とみなされていたからだ。あるいは、そこまで疎外されていたからこそ、自由を求める彼らの感性はいっそう研ぎ澄まされ、ビート文学が誕生したともいえる。

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