今週末公開オススメ映画リスト2013/02/07

週刊オススメ映画リスト

今回は『故郷よ』『ムーンライズ・キングダム』『命をつなぐバイオリン』の3本です。

『故郷よ』 ミハル・ボガニム

チェルノブイリ原発の立入制限区域(30キロ圏内)で劇映画を撮るというのは、許可を得るのにも煩雑な手続きが必要になるでしょうし、キャストもそれなりの覚悟が必要になると思います。

ミハル・ボガニム監督は、ヒロインにオリガ・キュリレンコを起用したことについて、プレスのインタビューで以下のように語っています。

オリガ・キュリレンコはウクライナ人です。彼女は子供の時に起きた事故のことをとてもよく覚えていました。彼女はまさにアーニャ自身でした。「アーニャは私です」と彼女は言ってくれましたが、始まるまで私はほんの少しそのことを疑っていました。というのは、彼女は美しすぎるからです。それで、私は彼女を起用するより無名の誰かを準備した方がいいと考えオーディションをしましたが、参加してくれたオルガの演技が印象に残りました。その印象をもとに彼女とアーニャを作っていきました

そのキュリレンコは、テレンス・マリック監督の新作『To the Wonder』(12)にも出演していますね。

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ニコラウス・ゲイハルター 『プリピャチ』 レビュー

Review

人類の未来をめぐる大きな物語の礎となるような日常の断片

ニコラウス・ゲイハルター監督の『プリピャチ』(99)では、チェルノブイリ原発事故から12年が経過した時点で、立ち入りが禁じられた“ゾーン”に暮らしていたり、あるいはそこで働いている人々の姿が映し出される。この映画から見えてくる世界の意味を明らかにするためには、ゾーンの外側に広がる世界と内側の世界で、どのように12年という時間が流れていたのかを確認しておくべきだろう。

この映画の製作年である99年から振り返ってみたとき、最も大きな事件は、ソ連の崩壊と冷戦の終結だといえる。そこから世界は変わった。ポストモダンという言葉がもてはやされ、歴史や人類の普遍の未来を語る大きな物語は終わりを告げ、ひとつの共通する世界が失われた。そういう認識が浸透していった。

政治学者のジョン・グレイは『グローバリズムという妄想』のなかで、後期近代資本主義は「人間を断片化された現実と意味のない選択の氾濫の中に放り出す」と書いている。確かに、情報の洪水のなかで近代の確実性は破壊され、大きな物語は失われたかに見えた。

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想田和弘監督インタビュー 『演劇1』『演劇2』:虚構とリアル―人間はなぜ演じるのか その二



トピックス

想田和弘監督インタビュー 『演劇1』『演劇2』 その一からのつづき)

演技する平田オリザ

要するにこの映画では、観察する立場にあるのは想田監督だけではない。平田オリザもまた観察することでリアルを生み出している。

平田さんも観察者だと思うんです。たぶん一から台詞を考えるのではなく、普段の生活で見たことを記憶していて、膨大なデータベースが頭のなかにあるんだと思います。そこからいろいろ引き出して台本を構築する。演出するときにも俳優の動きなり、喋り方なりを観察することによって、台本をアジャストしていくわけですね。そういう意味では、この映画には『観察者を観察する』みたいな入れ子構造がある(笑)。それから平田さん自身もものすごく演技をされていると思うんですよ。とにかくカメラの無視の仕方が尋常じゃない。普通の人は『カメラを無視する』と言っても、ときどき僕のことをチラッと見たり話しかけたりするものなんですが、それもない。あそこまで無視するというのはやっぱり不自然なんです(笑)。でも振る舞いは演技に思えないくらい自然なんです。だから『僕はいまなにを撮っているんだろう?』と考え込んでしまった。つまりドキュメンタリーのカメラは何を映すのか、という難問にぶち当たった

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想田和弘監督インタビュー 『演劇1』『演劇2』:虚構とリアル―人間はなぜ演じるのか その一



トピックス

平田オリザ作品の方法論

“観察映画”で注目を集める想田和弘監督の最新作『演劇1』『演劇2』の題材は、日本の演劇界で異彩を放つ平田オリザと彼が主催する劇団・青年団だ。これまでの観察映画を振り返ってみると、第1弾『選挙』の主人公、「山さん」こと山内和彦が想田監督の大学時代のクラスメートで、第2弾『精神』の舞台「こらーる岡山」が、NPOを運営する想田監督の義母と関わりのある精神科診療所だったように、その題材にはニューヨーク在住の想田監督と個人的な繋がりがあった。では、平田作品とはどのように出会い、どんな関心を持っていたのだろうか。

2000年にニューヨークで『東京ノート』を観たのが最初です。その時は不勉強で平田オリザさんの名前ぐらいしか知らなかったんですが、大袈裟な演技とか翻訳口調の台詞など、僕が敬遠気味のいわゆる演劇臭さみたいなものが一掃されていることに作り手の強い意志を感じました。僕がまだ駆け出しのテレビ・ディレクターで、ドキュメンタリーの難しさに直面している時期でした。目の前の現実にカメラを向けた途端に、なにかよそよそしいものになってしまう。ドキュメンタリーですら『リアル』をとらえるのが難しいのに、それを舞台上でやってのけてしまうことに途轍もないものを感じたんですね。それで、06年に別の作品で来られたときにも拝見したんですが、鳥肌が立ちました。『これは絶対に確固たる方法論があるはずだ』と直観し、平田さんの本を読み漁ると、やっぱりそう。ちょうど僕自身、『選挙』の編集中で、観察映画という方法論を自分なりに編み出そうとしていた時期だったので、なんかもうビンビンに響いてきたんです

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ジャファール・パナヒ 『これは映画ではない』 レビュー

Review

パナヒと映画の登場人物の思い、外で爆竹を鳴らす人の思い

反体制的な活動を行なったとして6年の懲役と20年の映画製作禁止を言い渡されたイランの名匠ジャファール・パナヒ監督。

『これは映画ではない』は、軟禁状態にあるパナヒが、友人のモジタバ・ミルタマスブ監督の協力を得て自宅で撮り上げた異色の作品だ。彼はUSBファイルに収めた映像をお菓子の缶に隠し、ある知人に託して国外に持ち出した。

このタイトルには、映画でなければ何を作っても違反にならないだろうという痛烈な皮肉が込められているが、中身の方も一筋縄ではいかない。

自宅で脚本を読むだけなら問題ないと考えたパナヒは、絨毯にテープを貼って舞台を作り、撮影許可が得られなかった脚本を再現していく。やがてそれでは物足りなくなり、過去の監督作のDVDを再生しながら、映画とはなにかを語り出す。

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