『コズモポリス』 『セレステ∞ジェシー』 試写

試写室日記

本日は試写を2本。

『コズモポリス』 デヴィッド・クローネンバーグ

ドン・デリーロの同名小説をクローネンバーグが映画化。映画では切り捨てられているが、原作では、巨大ハイテクリムジンから莫大なマネーを動かすアナリスト、エリック・パッカーの物語の途中に、彼の命を狙うベノ・レヴィンの告白が挿入される。

その告白もかなりクローネンバーグ好みの世界になっている。『裸のランチ』『スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする』のように、書くことと狂気や幻想が結びつけられているからだ。たとえば、以下のような表現だ。

世界は何か自己充足した意味をもっているはずだ。しかし、実際に自己充足しているものなど何もない。すべてが他のものに入り込む。俺の小さな日々が光年に染み込んでいく。だから俺は他人を装うことしかできない。そしてそのために、こうした原稿を書いているとき、俺は自分が他人を引用しているように感じるのだ。俺にはよくわからない。書いているのは俺なのか、それとも俺がその口調を真似したいと思っている誰かなのか

続きを読む

『パパの木』 『チャイルドコール 呼声』 試写

試写室日記

本日は試写を2本。

『パパの木』 ジュリー・ベルトゥチェリ

長編劇映画デビュー作『やさしい嘘』(03)で注目を浴びたフランス出身の女性監督ジュリー・ベルトゥチェリの新作。どちらも愛する者の死を残された家族がどのように受け入れていくのかを描いていることになる。

オーストラリアの辺境に暮らす主人公一家は突然、大黒柱を喪うが、まだ幼い末娘のシモーンは、庭の巨木に父親がいると信じ、その思いが次第に家族に伝わっていく。

特殊効果を使うようなスーパーナチュラルな表現は一切やらず、すべてが自然との繋がりで描かれる。その自然がなかなか凄い。夜に窓を開けていると、突然なにかが飛び込んできて、部屋を舞う。それは巨大なコウモリなのだが、そんな野生の生き物に当たり前に取り巻かれた世界に引き込まれる。

一家は巨木に象徴される自然を通して、彼らにとって最も大切なものに目覚めていく。ジュディ・パスコーの『パパの木』という原作があるためかどうか定かではないが、安易に神秘性に頼ってしまうでもなく、感傷に流されるでもなく、母親が最後に口にする台詞に集約されるように、筋が一本通っていて実にいい映画である。詳しいことはまたレビューで書きたい。

続きを読む

『リンカーン』 『ウィ・アンド・アイ』 試写

試写室日記

本日は試写を2本。

『リンカーン』 スティーヴン・スピルバーグ

素晴らしいというよりは凄いというべきなのだろう。ある意味、スピルバーグの集大成といってもいいと思う。

この映画の原作となったドリス・カーンズ・グッドウィンの『リンカン』は長い。長いといっても、リンカーンの人生の最後の5年間に絞り込まれているので、一般的な伝記に比べれば扱っている時間ははるかに短いといえるが、映画が扱う時間はそれよりもずっと短い。大胆に切り落とされている。

1864年11月に2期目を目指す大統領選に勝利を収めてから、憲法修正第13条が下院で可決され永久に奴隷制が禁止され、1865年4月に暗殺されるまで。半年にも満たない。南部人の立場もほとんど描かれない。これはひとつ間違えば非常に危険な映画になりかねない。

ジェームズ・M・バーダマンの『ふたつのアメリカ史』に書かれているように、アメリカにはふたつの歴史がある(確か本書の帯には「リンカーンは悪魔である」という言葉が使われていた)。「北部」の見地に立って書かれた歴史が、アメリカ史の通史のように流通しているが、「南部」の見地に立てばもうひとつのアメリカが見えてくる。

続きを読む

ジェームズ・マーシュ 『シャドー・ダンサー』 レビュー

Review

男同士のホモソーシャルな連帯と女たちの孤独と心の痛み

ジェームズ・マーシュ監督の『シャドー・ダンサー』の舞台は、1993年の北アイルランドとロンドンだが、その前に70年代前半に起こった悲劇を描くプロローグがある。当時まだ子供だったヒロインのコレットは、弟を喪うという悲劇によってIRAの一員として前線に立つことを宿命づけられる。

1993年、息子を育てる母親でもあるコレットは、ロンドンの地下鉄爆破未遂事件の容疑者として拘束される。そして彼女の前に現れたMI5(イギリス諜報局保安部)の捜査官マックから、息子と引き離された刑務所生活を送るか、内通者になるかの二者択一を迫られる。

コレットは悩みぬいた末に息子との生活を選ぶ。だが、マックは上司であるケイトの振る舞いに不自然なところがあるのに気づき、探っていくうちに、自分とコレットが難しい立場に立たされていることを悟る。ケイトと上層部は、すでに別の内通者“シャドー・ダンサー”を抱えていて、その人物を守るためにコレットをスケープゴートにしようとしていた。

監督のジェームズ・マーシュは、プレスでは『マン・オン・ワイヤー』が代表作として強調されているようだが、筆者にはなんといっても『キング 罪の王』だ。

続きを読む

ミヒャエル・ハネケ 『愛、アムール』 レビュー

Review

“時間の芸術”の王国を去る――ハネケの厳格さと豊かな想像力が集約された美しい結末

ミヒャエル・ハネケの新作『愛、アムール』の主人公であるジョルジュとアンヌは、ともに音楽家の老夫婦だ。ふたりはときに教え子たちのリサイタルに足を運び、音楽を引き継いだ娘夫婦や孫の成長を見守り、悠々自適の老後を過ごしている。

だが、ある日突然、アンヌが病の発作に見舞われ、手術も失敗に終わる。彼女は不自由な身体になり、着実に衰弱していく。ジョルジュは、「二度と病院に戻さないで」というアンヌの願いを聞き入れ、妻を献身的に支えようとする。

この映画には注目すべき点がふたつある。ハネケ作品の登場人物は、制度やそれに類する見えない力に規定されている。

たとえば、『ピアニスト』(01)のヒロイン、ピアノ教授のエリカの場合は、クラシック音楽の伝統や制度だ。ハネケはそこに男性優位主義が潜んでいると見る。だから彼女は精神的には男であり、その倒錯的な行動からわかるように欲望を規定されている。

『隠された記憶』
(05)の主人公、書評番組のキャスター、ジョルジュの場合は、とりあえず“編集”といえる。この映画では、番組のセットと彼の自宅の居間がダブって見える。彼の人生もまた、番組と同じように巧妙に編集され、それが辛い記憶の忘却を可能にしている。

続きを読む