テレンス・マリック 『トゥ・ザ・ワンダー』 レビュー

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彼女を目覚めさせ、解放するもの

テレンス・マリック監督の『トゥ・ザ・ワンダー』には、愛し合う男女や苦悩する神父の姿が描き出されるが、そんな登場人物を追いかけ、物語を見出すだけでは、おそらく深い感動は得られないだろう。マリックが描いているのは、人間ドラマというよりは、人間を含めた世界の姿だといえる。

しかもその世界は誰の目にも同じように見えるわけではない。この映画には、見えない糸が張り巡らされ、それをどうたぐるかによって感知される世界が変わってくるように思えるからだ。

ではなぜマリックはそんな表現を切り拓くのか。おそらく人間中心主義や比較的新しい哲学である環境倫理学と無関係ではないだろう。環境倫理学の創始者のひとりJ・ベアード・キャリコットはその著書『地球の洞察』の日本語版序文で、このようなことを書いている。

西洋哲学は長年にわたって人間中心主義の立場をとり、「自然は『人間』のための支援体制や共同資源、あるいは人間のドラマが展開する舞台に過ぎなかった」。これに対して環境倫理学者たちは、「人間の位置を自然の中に据えて、道徳的な配慮を人間社会の範囲を越えてひろく生物共同体まで拡大しようとした」。

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『いとしきエブリデイ』 劇場用パンフレット

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感情と距離の間にあるマイケル・ナイマンの音楽

2013年11月9日(土)よりヒューマントラストシネマ有楽町にてロードショーになるマイケル・ウィンターボトム監督の新作『いとしきエブリデイ』(12)の劇場用パンフレットに、上記のようなタイトルでコラムを書いています。

映画に登場する幼い子供たちは、実の4兄妹。ウィンターボトムは、プロの俳優とその子供たちから成る家族の日常を、5年の歳月を費やして撮影してこの作品を作り上げました。様々なかたちでフィクションとドキュメンタリーの狭間にリアルを求めつづけるウィンターボトムならではのアプローチだと思います。

ウィンターボトムはこの新作を、99年の『ひかりのまち』と対を成す作品と位置づけています。それはキャストやスタッフにも表れています。『いとしきエブリデイ』では、『ひかりのまち』で長女のデビーに扮したシャーリー・ヘンダーソンと三女モリーの夫エディに扮したジョン・シムが、カレンとイアンという夫婦を演じています。そしてどちらもマイケル・ナイマンが音楽を担当しています。

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トーマス・イムバッハ 『終わりゆく一日』 特別寄稿



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時の流れと喪失を鮮やかに浮き彫りにする普遍的な物語

2013年10月26日(土)よりユーロスペースほかで全国順次公開になるトーマス・イムバッハ監督のスイス映画『終わりゆく一日』のプレス用に上記のタイトルのレビューを寄稿しています。

この映画の世界は、ユニークな素材の組み合わせで構築されています。まず、チューリッヒにあるイムバッハの仕事部屋から見える風景の映像です。彼は窓の外に広がる見事なパノラマに魅了され、15年以上に渡って撮り続けてきました。その映像には、郊外にそびえる巨大な煙突ともくもくと立ち上る煙、青空と様々に形を変えていく雲、飛び立つ旅客機、駅を行き来する列車、そして変貌を遂げていく目の前の工場地帯などが記録されています。

次に、留守番電話に残されたメッセージです。まだ新しかったこの装置に夢中になった彼は、メッセージを消去せずに収集してきました。そこには、父親の死や息子の誕生、家庭の崩壊などにまつわる言葉が刻み込まれています。

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クリスティアン・ムンジウ 『汚れなき祈り』 レビュー



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現代ルーマニア社会を炙り出すムンジウの視線

クリスティアン・ムンジウ監督の新作『汚れなき祈り』は、実際に起きた事件に基づいているが、その忠実でリアルな再現ではない。私たちがこの映画に深く引き込まれるのは、ムンジウ監督の独自の視点と表現が、単なるリアリズムとは一線を画す世界を切り拓いているからだ。

それがどんな視点と表現であるのかは、カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いた前作『4ヶ月、3週と2日』と対比してみることでより明確になるだろう。なぜなら、二作品は時代背景が異なるにもかかわらず、興味深い接点があるからだ。

『4ヶ月、3週と2日』では、1987年というチャウシェスク独裁の時代を背景に、寮のルームメイト、ガビツァの違法な中絶手術を成功させるために奔走する大学生オティリアの一日が描き出される。この映画で最も印象に残るのは、ホテルの一室でオティリアとガビツァ、そして闇医者が向き合う場面だろう。

ムンジウ監督は、鋭い洞察によって三者の微妙な力関係を浮き彫りにしていく。まずガビツァが、友人の不確かな情報を真に受け、妊娠の時期や手術料などについて、嘘をついていたり、憶測で判断していたことが明らかになる。一方、闇医者は相手の弱みにつけ込み、権力を振りかざし、ガビツァだけではなくオティリアにまで理不尽な要求を突きつける。そして、閉ざされた空間で巻き添えとなったオティリアは、大きな犠牲を払うことになる。そんな緊迫した状況を、ワンシーン・ワンカットの長回しで見事に切り取っているのだ。

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ファティ・アキン 『トラブゾン狂騒曲~小さな村の大きなゴミ騒動~』 レビュー



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世界の現状、その縮図としての小さな村のゴミ騒動

30代にしてカンヌ、ベルリン、ヴェネチアの三大映画祭での受賞を成し遂げたトルコ系ドイツ人のファティ・アキン監督の新作は、劇映画ではなくドキュメンタリーだ。

彼はこれまでにもトルコ音楽に迫る『クロッシング・ザ・ブリッジ』を作っているが、今回はゴミ問題というより社会的な題材を取り上げている。

その舞台は、アキンの祖父母の故郷であるトルコ北東部トラブゾン地域の村チャンブルヌ。映画は、自然に恵まれた村に暮らす住人たちの生活が、銅鉱山の跡地に建設されたゴミ処理場によって破壊されていく過程を生々しく映し出していく。

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