風間志織 『チョコリエッタ』 レビュー



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知世子とチョコリエッタをめぐる冒険

筆者ホームページ“crisscross”の方に、風間志織監督の『チョコリエッタ』(14)のレビューをアップしました。すでにレビュー01として短めのレビューをアップしていますが、今回は劇場用パンフレットに寄稿した少し長めのレビューです。

レビューをお読みになりたい方は以下のリンクからどうぞ。

風間志織 『チョコリエッタ』 レビュー02

池谷薫監督 『ルンタ』 劇場用パンフレット



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かけがえのない生活、ひとつの宇宙を象徴する映画『ルンタ』

告知がたいへん遅くなってしまいましたが、チベットの焼身抗議を題材にした池谷薫監督のドキュメンタリー『ルンタ』の劇場用パンフレットに、上記のようなタイトルで作品評を書かせていただきました。戦争、信仰、環境などさまざまな観点で重要な意味を持つ作品だと思います。

『ルンタ』は本日(9月19日)からポレポレ東中野にてアンコール・ロードショーになります。最短でも3週間の上映予定です。その他、盛岡・中央映画劇場、横浜ニューテアトル、新潟シネ・ウインド、長野ロキシー、大阪・第七藝術劇場、神戸・元町映画館、広島・シネツイン、沖縄・桜坂劇場でも本日から公開、または続映となります。

劇場で作品をご覧になりましたら、ぜひパンフレットもお読みください。

マルコ・ベロッキオ 『眠れる美女』 レビュー

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鍵を握るのは眠りつづける女、しかし眠っているのは本当に彼女たちだけなのか

マルコ・ベロッキオ監督の『眠れる美女』の出発点は、2009年にイタリア社会を揺るがせた尊厳死事件にある。17年前に植物状態となった娘の延命措置の停止を求める父親の訴えが最高裁でようやく認められるが、教会を始めとする世論の激しい反発が巻き起こり、保守層の支持を集めるベルルスコーニ首相は、延命措置を続行する法案を通そうとする。

この事件をそのまま映画にしていれば、おそらく賛否の単純な二元論に回収されてしまっただろう。だがベロッキオ監督は、賛否に揺れる社会を背景にして、三つの物語を並行して描き出していく。

妻の延命装置を停止させた過去を持つ政治家とそんな父親に対する不信感を拭えない娘。輝かしいキャリアを捨てて植物状態の娘に寄り添う元女優とそんな母親の愛を得られない俳優志望の息子。自殺衝動に駆られる孤独な女と不毛な日常に埋没しかけている医師。それぞれの関係には溝があるが、彼らは限られた時間のなかで根源的な痛みを知る体験をし、変貌を遂げていく。

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大宮浩一 『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』 レビュー

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見放された犬や猫との触れ合い、瞬間のなかに永遠を見る

最近の「New York Times」で、スペインのフラメンコに関する記事を目にした。その記事は、フラメンコのメッカ、セビリアでフラメンコを教えているダンサー/講師の話から始まる。彼女の教室には10名の女性が通っているが、そのうちスペイン人はひとりだけで、他は日本人、中国人、ドイツ人、イギリス人、デンマーク人、イスラエル人の生徒だという。

10年前には外国人の生徒の比率は4割だったが、9割まで上昇した。その背景には、スペインにおける景気後退や失業率の増加があるようだ。その記事には、フラメンコの存続は国際化にかかっている、という専門家の言葉も引用されている。

昭和11年に福島県に生まれた長嶺ヤス子は、昭和35年に単身スペインに渡った。その当時、フラメンコはスペイン人やロマ(シプシー)が踊るものと考えられ、日本人がステージに立つのはあり得ないことだった。彼女はフラメンコダンサーとして20年間スペインに留まり、帰国後は、和楽、古典を取り入れた創作舞踏により、国際的ダンサーとしての評価を得た。

このドキュメンタリーでは、そんな長嶺の烈しいフラメンコが映し出される。三味線をバックに着物で踊るパフォーマンスは独創的だ。東日本大震災から間もない2011年の春に直腸がんが見つかって入院するものの、手術を経て退院からわずか一ヶ月でステージに立っているその精神力や体力にも驚かされる。

しかし、それだけでは一本の作品としてこの映画に引き込まれることはなかっただろう。

長嶺は30年ほど前のある日、一匹の猫を轢き殺してしまった。そのとき、そのまま猫を置き去りにしようと考えた自分に対して、人間の、自分自身の恐ろしさを感じたことがきっかけで、困っている動物は必ず助けようと決心した。

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ミヒャエル・ハネケ 『愛、アムール』 レビュー

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“時間の芸術”の王国を去る――ハネケの厳格さと豊かな想像力が集約された美しい結末

ミヒャエル・ハネケの新作『愛、アムール』の主人公であるジョルジュとアンヌは、ともに音楽家の老夫婦だ。ふたりはときに教え子たちのリサイタルに足を運び、音楽を引き継いだ娘夫婦や孫の成長を見守り、悠々自適の老後を過ごしている。

だが、ある日突然、アンヌが病の発作に見舞われ、手術も失敗に終わる。彼女は不自由な身体になり、着実に衰弱していく。ジョルジュは、「二度と病院に戻さないで」というアンヌの願いを聞き入れ、妻を献身的に支えようとする。

この映画には注目すべき点がふたつある。ハネケ作品の登場人物は、制度やそれに類する見えない力に規定されている。

たとえば、『ピアニスト』(01)のヒロイン、ピアノ教授のエリカの場合は、クラシック音楽の伝統や制度だ。ハネケはそこに男性優位主義が潜んでいると見る。だから彼女は精神的には男であり、その倒錯的な行動からわかるように欲望を規定されている。

『隠された記憶』
(05)の主人公、書評番組のキャスター、ジョルジュの場合は、とりあえず“編集”といえる。この映画では、番組のセットと彼の自宅の居間がダブって見える。彼の人生もまた、番組と同じように巧妙に編集され、それが辛い記憶の忘却を可能にしている。

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