ポール・トーマス・アンダーソン 『ザ・マスター』 レビュー

Review

アメリカ50年代における組織と個人の相克を浮き彫りにする

ポール・トーマス・アンダーソン監督の『ザ・マスター』では、50年代のアメリカを背景にランカスター・ドッドとフレディ・クエルというふたりの人物の関係が描き出される。彼らが生きる50年代とはどんな世界だったのか。デイヴィッド・ハルバースタムの『ザ・フィフティーズ』の目次が物語るように、この時代は様々な側面を持っているが、それらを突き詰めれば「組織」と「個人」に集約することができるだろう。

たとえば、ウィリアム・H・ホワイトの『組織のなかの人間』では、彼が〝オーガニゼーション・マン〟と呼ぶ人々の価値観を通して50年代の社会の変化が浮き彫りにされている。オーガニゼーション・マンとは「組織の生活に忠誠を誓って、精神的にも肉体的にも、家郷を見捨てたわが中産階級の人々」だ。

戦後の経済的な発展によって中流層が膨張すると同時に、企業が全国レベルで組織化されていく。そこでアメリカ社会は、家庭の結びつきや地域社会の縁故よりも学歴がものをいう世界へと変化し、組織に順応するホワイトカラーが増大する。彼らは故郷を捨て、組織に命じられるままに積極的に移動していく。

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今週末公開オススメ映画リスト2013/03/21

週刊オススメ映画リスト

今回は『ザ・マスター』『長嶺ヤス子 裸足のフラメンコ』『暗闇から手をのばせ』の3本です。

『ザ・マスター』 ポール・トーマス・アンダーソン

PTAの持つ強烈なオブセッションとそれを映像で表現しきってしまう豪腕ぶりに息をのみます。まずは『ザ・マスター』試写室日記をお読みください。

「キネマ旬報」2013年4月上旬号(3月20日発売)の『ザ・マスター』特集で、監督インタビュー、作品論、監督論につづくかたちで、「『ザ・マスター』とアメリカの50年代」というタイトルのコラムを書いております。ぜひお読みください。

映画はフィクションですが、PTAはサイエントロジーの始まりの時期をかなり詳しく調べ、ランカスター・ドッドという人物を創造しています。試写室日記では、サイエントロジーの実態に迫ったローレンス・ライトの『Going Clear』を取り上げましたが、「キネマ旬報」の原稿では、歴史学者ヒュー・B・アーバンの『The Church of Scientology: A History of a New Religion』を参考にしました。想像にすぎませんが、PTAも参考にしているように思えます。

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『リンカーン』 『ウィ・アンド・アイ』 試写

試写室日記

本日は試写を2本。

『リンカーン』 スティーヴン・スピルバーグ

素晴らしいというよりは凄いというべきなのだろう。ある意味、スピルバーグの集大成といってもいいと思う。

この映画の原作となったドリス・カーンズ・グッドウィンの『リンカン』は長い。長いといっても、リンカーンの人生の最後の5年間に絞り込まれているので、一般的な伝記に比べれば扱っている時間ははるかに短いといえるが、映画が扱う時間はそれよりもずっと短い。大胆に切り落とされている。

1864年11月に2期目を目指す大統領選に勝利を収めてから、憲法修正第13条が下院で可決され永久に奴隷制が禁止され、1865年4月に暗殺されるまで。半年にも満たない。南部人の立場もほとんど描かれない。これはひとつ間違えば非常に危険な映画になりかねない。

ジェームズ・M・バーダマンの『ふたつのアメリカ史』に書かれているように、アメリカにはふたつの歴史がある(確か本書の帯には「リンカーンは悪魔である」という言葉が使われていた)。「北部」の見地に立って書かれた歴史が、アメリカ史の通史のように流通しているが、「南部」の見地に立てばもうひとつのアメリカが見えてくる。

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今週末公開オススメ映画リスト2013/03/14

週刊オススメ映画リスト

今回は『汚れなき祈り』『偽りなき者』『ある海辺の詩人―小さなヴェニスで―』『シャドー・ダンサー』『クラウド・アトラス』の5本です。非常に見応えがあって、奥の深い作品が並んでいます。

おまけとして『ひまわりと子犬の7日間』のコメントをつけました。

『汚れなき祈り』 クリスティアン・ムンジウ

2005年にルーマニアで実際に起こった「悪魔憑き事件」に基づいた作品ですが、決してその忠実な再現というわけではなく、ムンジウ監督の独自の視点がしっかりと埋め込まれています。

『汚れなき祈り』試写室日記でも書きましたが、この監督の素晴らしいところは、まずなによりも、限られた登場人物と舞台を通して、社会全体を描き出せるところにあると思います。カンヌでパルムドールに輝いた前作『4ヶ月、3週と2日』(07)では、チャウシェスク独裁時代の社会が、本作では冷戦以後の現代ルーマニア社会が浮かび上がってきます。

その前作がふたりの女子大生と闇医者、本作がふたりの若い修道女と神父というように、時代背景がまったく異なるのに、共通する男女の三角形を軸に物語が展開するのは決して偶然ではありません。ムンジウ監督が鋭い洞察によってこの三角形の力関係を掘り下げていくとき、闇医者や神父に権力をもたらし、若い女性たちから自由を奪う社会が炙り出されるということです。

この『汚れなき祈り』の劇場用パンフレットに、「社会を炙りだすムンジウの視線」というタイトルで、長めのコラムを書かせていただきました。自分でいうのもなんですが、なかなか読み応えのある内容になっているかと思います。劇場で作品をご覧になられましたら、ぜひパンフもチェックしてみてください。

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『魔女と呼ばれた少女』 『汚れなき祈り』 試写

試写室日記

本日は試写を2本。

『魔女と呼ばれた少女』 キム・グエン

政治学者のP・W・シンガーが『子ども兵の戦争』(NHK出版)で浮き彫りにしている子供兵の問題を独自の視点で掘り下げた作品。アフリカの子供兵といえば、ジャン=ステファーヌ・ソヴェール監督の『ジョニー・マッド・ドッグ』が思い出される。だが、この映画は、視点や表現がまったく違う。

『ジョニー・マッド・ドッグ』が主にリアリズムであるとすれば、こちらは神話的、神秘的、象徴的な世界といえる。水辺の村から拉致され、反政府軍の兵士にされた12歳のヒロインは、亡霊が見えるようになり、亡霊に導かれるように死線に活路を見出す。

そのヒロインと絆を深めていくのが、アルビノの子供兵であることも見逃せない。それについては、マリ出身のアルビノのシンガー、サリフ・ケイタの『ラ・ディフェロンス』レビューを読んでいただきたい。そこに書いたような背景があるため、このアルビノの子供兵もまた、ある種の神秘性を帯びると同時に悲しみの色に染められる。

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