アヌラーグ・バス 『バルフィ!人生に唄えば』 レビュー

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世界を引っ掻きまわすトリックスターが炙り出すもの、巧妙な時間軸の操作が生み出すマジック

インド映画を牽引するアヌラーグ・バス監督の『バルフィ! 人生に唄えば』の主人公は、生まれつき耳が聞こえず、話もできないが、豊かな感情を眼差しや身ぶりで表現してしまう心優しい青年バルフィだ。物語は彼と二人の女性、富も地位もある男性と結婚したシュルティと、施設に預けられている自閉症のジルミルを軸に展開していく。

バルフィはシュルティに一目惚れし、彼女が結婚してしまっても想いつづける。しかしその一方で、父親の手術費を捻出すべく奔走するうちに、祖父の遺産を相続したジルミルの誘拐事件に巻き込まれ、彼女との間に絆を培っていく。

この映画には、世界各国の映画からの引用が散りばめられているが、あまり細部に気をとられると、作品のダイナミズムが半減しかねない。

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パヴェウ・パヴリコフスキ 『イーダ』 レビュー

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“アンナ”が“イーダ”になるためのイニシエーション

パヴェウ・パヴリコフスキの新作『イーダ』は、1957年にワルシャワで生まれ、14歳の時に共産主義のポーランドを離れたこの監督が、初めて祖国で作り上げた作品だ。

物語の背景は1962年のポーランド。戦争孤児として修道院で育てられ、修道女になる準備をしていた18歳のアンナは、院長から叔母のヴァンダが存命していることを知らされる。検察官でありながら、酒に溺れる乱れた生活を送るヴァンダは、唯一の親類を訪ねてきたアンナに、彼女がユダヤ人で、本名はイーダ・レベンシュタインであることを打ち明ける。そして二人はそれが宿命であったかのように、歴史の闇に分け入り、家族の死の真相に迫っていく。

陰影に富むモノクロ、スタンダード・サイズの映像、徹底的に削ぎ落とされた台詞や構成、ホロコーストや共産主義をめぐる歴史の闇、アンジェイ・ワイダを筆頭とする“ポーランド派”やポーランド・ジャズの黄金時代へのオマージュ。この映画は、これまでのパヴリコフスキ作品とはまったく違うように見えるが、実はしっかりと繋がっている。

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パブロ・ベルヘル 『ブランカニエベス』 レビュー

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映像と音楽と題材が三位一体となった貴種流離譚

モノクロ&サイレントで撮られたパブロ・ベルヘル監督の『ブランカニエベス』は、闘牛の場面から始まる。それを観ながら思い出したことがある。だいぶ前にスペイン文化について調べ物をしたときに、印象に残ったことのひとつが闘牛における音楽や音の役割だった。それは、ギャリー・マーヴィンの『闘牛 スペイン文化の華』のなかで説明されていた。

たとえば、闘牛を仕切る座長の合図で、楽隊がパソドブレ(闘牛と伝統的に結びついた二拍子のマーチ風舞曲)の演奏を始め、最初の牛が放されるまで続けられるというのは、容易に想像できる音楽の使い方である。しかし、音楽の役割はそれだけではない。座長の合図は、色のついたハンカチで視覚的に表現され、それと同時に、トランペットでも通訳される。さらに以下のような役割も担う。

音楽はまた、アンビエンテ(雰囲気)を作りだし、アリーナの演技に触発された感情をさらに強める働きをする。音楽だけである程度この気分を作りだすことがある。マタドールは音楽に身を委ねることがあるからである」「アリーナの演技が音楽が演奏されるに値すると思うのに楽隊が何もしないと、観客はすぐに文句をつける

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アブデラティフ・ケシシュ 『アデル、ブルーは熱い色』 レビュー



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階層と成長期に培われる価値観、食と集団をめぐるドラマに見るケシシュの世界

カンヌ国際映画祭でパルムドールに輝いたアブデラティフ・ケシシュ監督の『アデル、ブルーは熱い色』は3時間の長編だが、物語そのものはシンプルだ。

高校生のアデルは、道ですれ違ったブルーの髪の女に一瞬で心を奪われる。再会を果たした彼女は、画家を目指す美学生エマにのめり込んでいく。数年後、夢を叶えて幼稚園の先生になったアデルは、画家になったエマのモデルをつとめながら彼女と生活を共にしているが、やがて破局が訪れる。

チュニジアで生まれ、南仏ニースで育ったケシシュは、マグレブ系移民を作品に登場させても、国家や文化をめぐる単純な二元論に落とし込むのではなく、共通性を掘り下げ、より普遍的な世界を切り拓いてきた。

そうした姿勢は、新作にも引き継がれている。独自の美学に貫かれたラブシーンが鮮烈な印象を残す“ガール・ミーツ・ガール”の物語ではあるが、同性愛がテーマになっているわけではない。

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ウルリヒ・ザイドル 『パラダイス:愛/神/希望』3部作 レビュー

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現実の世界では得られないもの

オーストリアの鬼才ウルリヒ・ザイドル監督は、まず90年代に一連のドキュメンタリー作品で異彩を放ち、新しい世紀に入った頃から次第に劇映画に重心を移すようになった。但し、ドキュメンタリーであれ劇映画であれ、タブーを恐れない挑発的な表現で、均質化、標準化された社会や人間に揺さぶりをかけ、地獄の底までとことんリアルを追求するような姿勢に変わりはない。

「パラダイス3部作」はそんなザイドルの新作だ。この3部作は当初、ひとつの長大な物語として構想されていたという。だからそれぞれのヒロインには明確な繋がりがある。

『パラダイス:愛』では、ウィーンで自閉症患者のヘルパーとして働く50代のシングルマザー、テレサが、一人娘のメラニーを姉アンナ・マリアの家に預け、ケニアの美しいビーチリゾートでヴァカンスを過ごし、セックス観光にはまっていく。『パラダイス:神』では、レントゲン技師として働く敬虔なカトリック教徒のアンナ・マリアが、夏休みの日々を移民への布教活動、祈祷会、そして何よりも人々の不貞の罪を背負って自らの身体を鞭打つことに費やす。『パラダイス:希望』では、テレサの13歳の娘メラニーが、人里離れた山奥で行われる夏休みの青少年向けダイエット合宿に参加し、父親ほどに年齢差のある合宿所の医師に初めて恋をする。

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