『イノセント・ガーデン』 映画.com レビュー+ベルイマン

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宿命と意志がきわどくせめぎ合う、パク・チャヌクの揺るぎない世界

「映画.com」の5月22日更新の映画評枠で、上記のようなタイトルで、5月31日公開のパク・チャヌク監督ハリウッド・デビュー作『イノセント・ガーデン』のレビューを書いています。

脚本を書いたのはTVシリーズ「プリズン・ブレイク」でブレイクしたウェントワース・ミラーですが、『オールド・ボーイ』『渇き』にも通じるところがあるパク・チャヌクの世界になっています。細部へのこだわりがすごいです。

ドラマに漂う冷たく、謎めいた空気と共鳴するクリント・マンセル(+フィリップ・グラス)の音楽、ヒロインが履く靴へのフェティシズム、触感まで生々しく伝わってくるかのような視覚や音響の効果など、映画が終わったあとはしばらくゆらゆらした感覚が残ります。

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『オン・ザ・ロード』 『コン・ティキ』 試写

試写室日記

本日は試写を2本。

『オン・ザ・ロード』 ウォルター・サレス

『セントラル・ステーション』『ビハインド・ザ・サン』『モーターサイクル・ダイアリーズ』のウォルター・サレス監督が、ジャック・ケルアックの『オン・ザ・ロード』を映画化した。

その導入部はひとつのポイントになる。映画は、サルの父親の死のエピソードから始まる。『オン・ザ・ロード』の1957年刊行版は妻との離婚から始まる。父親の死から始まるのは、ケルアック自身が手を加える前のオリジナル版(『スクロール版オン・ザ・ロード』として刊行されている)だ。

サレスはオリジナル版のほうにだいぶインスパイアされているように見える。それが父親へのこだわりに表れている。

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ポール・トーマス・アンダーソン 『ザ・マスター』 レビュー

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アメリカ50年代における組織と個人の相克を浮き彫りにする

ポール・トーマス・アンダーソン監督の『ザ・マスター』では、50年代のアメリカを背景にランカスター・ドッドとフレディ・クエルというふたりの人物の関係が描き出される。彼らが生きる50年代とはどんな世界だったのか。デイヴィッド・ハルバースタムの『ザ・フィフティーズ』の目次が物語るように、この時代は様々な側面を持っているが、それらを突き詰めれば「組織」と「個人」に集約することができるだろう。

たとえば、ウィリアム・H・ホワイトの『組織のなかの人間』では、彼が〝オーガニゼーション・マン〟と呼ぶ人々の価値観を通して50年代の社会の変化が浮き彫りにされている。オーガニゼーション・マンとは「組織の生活に忠誠を誓って、精神的にも肉体的にも、家郷を見捨てたわが中産階級の人々」だ。

戦後の経済的な発展によって中流層が膨張すると同時に、企業が全国レベルで組織化されていく。そこでアメリカ社会は、家庭の結びつきや地域社会の縁故よりも学歴がものをいう世界へと変化し、組織に順応するホワイトカラーが増大する。彼らは故郷を捨て、組織に命じられるままに積極的に移動していく。

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クロード・ガニオン 『カラカラ』 レビュー

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禅の世界に通じる喪失と再生の物語

新しい世紀に入って再び日本で映画を作るようになったクロード・ガニオン監督にとって、『カラカラ』(12)は、『リバイバル・ブルース』(03)、『KAMATAKI‐窯焚‐』(05)につづく新作になる。この三作品を対比してみると、新作では前の作品に見られたモチーフがかたちを変えて引き継がれ、掘り下げられていることがわかる。

『リバイバル・ブルース』に登場する健は、かつて親友の洋介とバンドという夢を追いかけたが、堅実な人生を歩む決断をしたことで夢は終わりを告げた。この映画ではそんな健が、末期癌の洋介の最期を看取ることになる。『カラカラ』の主人公ピエールは、二年前に親友を喪った。かつて二人にはソーラーハウスという大きな夢があったが、ピエールはそれを捨て、安定や社会的地位を選んだ。

『KAMATAKI‐窯焚‐』に登場する日系カナダ人の若者ケンは、父親を喪った哀しみから立ち直れず、自殺をはかった。そんな彼は陶芸家である叔父の窯元を訪ね、信楽焼の陶器に言葉では表現しがたいなにかを感じたことがきっかけで、再生を果たしていく。『カラカラ』にも異文化との出会いがある。喪失と死の不安に苛まれるピエールは、沖縄県立博物館で目にした人間国宝・平良敏子が織った芭蕉布になぜか強く惹きつけられていく。

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トマス・ヴィンターベア 『偽りなき者』 レビュー

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コミュニティが不可視の集団へと変わるとき

トマス・ヴィンターベア監督の新作『偽りなき者』の出発点は、〝ドグマ95〟の第一弾として世界的な注目を集めた彼の『セレブレーション』(98)まで遡る。

映画が公開された後で、この監督と同じ通りに住む著名な精神科医が、映画の内容に関心を持ち、直接訪ねてきた。そして、研究事例の資料を差し出し、それを映画にすべきだと提案した。ヴィンターベアは資料を受け取ったものの、すぐに目を通すことはなかった。

『セレブレーション』では、自殺した双子の妹とともに幼い頃に父親から性的虐待を受けていた主人公が、父親の還暦を祝う席で苦痛に満ちた過去を暴露する。精神科医が注目するのもよくわかる題材ではあるが、コミューンで育ったヴィンターベアが最も関心を持っていたのは、おそらく集団の心理だった。だから資料を放置したのだろう。

しかしそれから10年後、離婚も経験したヴィンターベアは精神科医が必要になり、彼に連絡をとった。もちろん礼儀として資料にも目を通した。そして衝撃を受けた。

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