『ミッドナイト・イン・パリ』 『ジョイフル♪ノイズ』 試写

試写室日記

本日は試写を2本。

『ミッドナイト・イン・パリ』 ウディ・アレン

アカデミー賞とゴールデン・グローブ賞で脚本賞を受賞したアレンの新作。21世紀のアレンは定まった枠組みのなかで映画を作って、もはや逸脱することはないのかと思っていたが、そんなことはなかった。

プレスでは“タイムスリップ”という表現が使われているが、主人公が迷い込む世界が、本当の1920年代とは限らない。深夜0時を回った瞬間から始まる夢、あるいは妄想のようにも見え、曖昧にされているところがいかにもアレンらしい。

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『アーティスト』 劇場用パンフレット

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サイレント映画から新たな魅力を引き出す現代的なアプローチ

第84回米アカデミー賞で、作品賞、監督賞(ミシェル・アザナヴィシウス)、主演男優賞(ジャン・デュジャルダン)など5冠に輝いたサイレント映画『アーティスト』。4月7日より全国ロードショー公開になるこの作品の劇場用パンフレットに上記のタイトルで作品評を書いております。

実際に作品を観るまでは、サイレント映画がなぜこれほど話題になるのか正直、不思議に思っていましたが、かつてのサイレント映画を現代に甦らせただけの作品ではないし、ハリウッドへのオマージュや、男優と女優のロマンス、芸達者な犬以外にも魅力を持った作品です。

冒頭の新作上映会では、俳優たちが上映後の舞台挨拶のためにスクリーンの裏で待機しているのですが、そこでわざわざ「舞台裏につき私語禁止」という標語を映してみせたときに、これは音や音楽を意識させる巧みな話術が見られそうだと思ったら、本当にそういうことになっていました。

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『90年代アメリカ映画100』ついに完成!



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いま見つめ直す世紀末の風景
いよいよ2012年4月3日発売

たいへんお待たせいたしました。昨年末に出た『80年代アメリカ映画100』につづきまして『90年代アメリカ映画100』がようやく完成いたしました。『80年代~』のバラエティ感覚や充実度とはまたひと味違った“エッジ”のある本になっているのではないかと思います。コラムの執筆陣については、以下の表紙の帯をご覧ください。表紙の画像については説明不要ですね。裏は見てのお楽しみということで(筆者も主編の佐野亨さんもすごく気に入っている画像です)。

それでは内容の方を簡単に紹介させていただきます。まず、筆者の「アメリカ社会総論」と粉川哲夫さんの「アメリカ映画のメディア的側面」、そして町山智浩さんの「アカデミー賞作品賞に見るアメリカ映画界の様相」は、『80年代~』と対になっておりますので(町山さんの場合は、既刊の『ゼロ年代~』でも同じテーマを担当していただいています)、あわせてお読みいただくとさらに視野が広がるかと思います。

『90年代アメリカ映画100』(芸術新聞社)

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ケン・ローチ 『ルート・アイリッシュ』 レビュー

Review

戦争の民営化、冷酷なシステムによって崩壊していく地域社会

ケン・ローチの新作『ルート・アイリッシュ』(10)は、2007年、リヴァプールの教会における葬儀の場面から始まる。主人公のファーガスとフランキーは幼なじみの親友で、ともに兵士としてイラク戦争に参加した。だが、ファーガスが先に帰国し、残ったフランキーは無言の帰宅を果たすことになった。

フランキーが亡くなった場所は、バグダード空港とグリーン・ゾーン(米軍管理区域)を結ぶルート・アイリッシュ、イラクで最も危険な区域だった。関係者は、まずいときにまずい場所にいたという説明を繰り返すが、ファーガスは納得することができない。

それは激しいショックで自制心を失っているからだけではない。フランキーが亡くなった日、ファーガスの電話には「大事な話がある」という親友からの切迫したメッセージが残されていた。さらに、フランキーが残した携帯電話によって疑惑は決定的となる。そこには、フランキーが行動をともにしていた兵士ネルソンによって罪もない民間人が殺害される瞬間が記録されていた。

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『ル・アーヴルの靴みがき』 『レンタネコ』 試写

試写室日記

本日は試写を2本。

『ル・アーヴルの靴みがき』 アキ・カウリスマキ

アキ・カウリスマキにとって長編映画としては5年ぶりの新作であり、『ラヴィ・ド・ボエーム』(91)以来、2本目のフランス語映画となる。その『ラヴィ・ド・ボエーム』は観ておいたほうがよいと思う。マルセル・マルクスが再登場するだけではなく、物語がそこから再構築されているところがあり、現在のカウリスマキの境地を理解する手がかりになるからだ。

映画を観ながら、昔カウリスマキにインタビューしたとき、空間の造形についてこのように語っていたのを思い出した。

「時代についてはいつもタイムレスな設定をしようという気持ちがあります。たとえば普通は、70年代と50年代の家具を組み合わせるようなことはしないと思いますが、わたしは同じ画面のなかにいつも異なる時代を混在させています。 そして最終的には50年代へと戻っていく傾向があります。わたしは実際にその時代を体験したわけではありませんが、とても好きな時代なのです。誰もが経済的には貧しかったが、とてもイノセントで、もっとお互いに助け合い、幸福な時代でした」

そういうセンスにさらに磨きがかかっている。カウリスマキが、『浮き雲』(96)、『過去のない男』(02)、『街のあかり』(06)という三部作を完成させたあと、どういう方向に向かうのか大いに注目していたが、これまで暗示的に表現されていたものが具体化され、新たな次元へと踏み出していて、素晴しい。

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