『明りを灯す人』 『田中さんはラジオ体操をしない』試写

試写室日記

本日は試写を2本。どちらの作品も電気に関わっていたりする。

『明りを灯す人』 アクタン・アリム・クバト

『あの娘と自転車に乗って』や『旅立ちの汽笛』の監督から届けられた久しぶりの新作だが、監督の名前が以前とは変わっている。かつてはアクタン・アブディカリコフだったが、ロシア名のアブディカリコフを、キルギス名のアリム・クバトに改めたとのこと。

しかもこの『明りを灯す人』では、監督・脚本に加えて、自ら主人公を演じている。映画の舞台は、中央アジア・キルギスの小さな村で、村人たちから親しみを込めて“明り屋さん”と呼ばれている電気工が主人公だ。穏やかだった村に変革の波が押し寄せ、共同体の基盤が揺らいでいく。

これは素晴らしい映画だ。電気工という主人公の設定が生きている。電灯は便利ではあるが、人々を豊かにするとは限らない。これまで同じ闇を共有していた人間と動物は別の世界を生きるようになる。闇に支えられてきた説話の力も失われていく。明り屋さんは、そんな分岐点に立たされている。

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『朱花の月』 『大鹿村騒動記』 『一枚のハガキ』試写



試写室日記

本日は邦画の試写を3本。

『朱花の月』 河瀨直美

『殯の森』(07)、『七夜待』(08)、『玄牝-げんぴん-』(10)の河瀨直美監督の新作。タイトルの「朱花」は「はねづ」と読む。万葉集に登場する朱色の花だという。

畝傍山、香具山、耳成山からなる“大和三山”が出てくるというだけで個人的に興味をそそられていたが、91分のなかに多様な要素が盛り込まれていることもあり、映画を観た時点では全体像がはっきりしていなかった。

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『マイティ・ソー』試写



試写室日記

本日は試写を1本。

『マイティ・ソー』 ケネス・ブラナー

ケネス・ブラナーを監督に起用したのは、北欧神話がモチーフになっていて、神話的な物語の部分をそれなりに正統的に、重厚に演出したかったからなのだろうが、その選択は裏目に出ているように見える。

いくら神話をモチーフにしているとはいっても、根本的に設定や人物がかなりとっちらかっていて、背景を描きこんだり、人物に肉付けをするような余地がない。『スターウォーズ』のようにはまとまらない。

であるなら、いっそのことスピードやノリやエッジで見せる監督を選ぶべきだろう。あるいは、ティムール・ベクマンベトフとかなら、神話的な要素を生かせたかも。

『Peace ピース』 『おじいさんと草原の小学校』 『ハウスメイド』試写

試写室日記

本日は試写を3本。

『Peace ピース』 想田和弘

“観察映画”という独自のアプローチによってドキュメンタリーの可能性を広げる想田和弘監督。『選挙』(07)、『精神』(08)につづく観察映画第3弾は、平田オリザと青年団を題材にした『演劇(仮題)』のはずだが、そちらは編集中で、先に公開されるこの『Peace』(10)は、「観察映画番外編」という位置づけになっている。

あらためてレビューを書くつもりだが、やはり観察映画は面白い。テーマに縛られず、先入観を排除して、対象にビデオカメラを向ける。この映画では、人間の世界と猫の世界が対等なものとして描かれる。そこには共同体があり、決して楽とはいえない生の営みや老いがある。

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Richard Skelton 『Landings』 レビュー

Review

場所から生まれ、場所を取り込み、そして場所に帰る――儀式としての音楽

イギリス・ランカシャーの自然とともに生きるアーティスト、リチャード・スケルトン(Richard Skelton)は、自身のレーベル“Sustain Release”を立ち上げ、Clouwbeck、 Heidika、 Carousell、A Broken Consortなどの様々な名義で作品を発表してきた。リチャード・スケルトンの名前を使ったのは、『Marking Time』(2008)が最初で、それにつづくのが『Landings』(2009)だ。

スケルトンが、弓弾きの弦楽器(主にヴァイオリン)、ギター、マンドリン、ピアノ、アコーディオン、パーカッションなどから紡ぎ出すレイヤー・サウンドはすぐにわかる。そこには彼でなければ切り拓けないサウンドスケープがある。音の断片は生々しく、ノイジーでもあり、身体というものを意識させる。ところがそうした断片で構築される空間は、美しく静謐で、幽玄とすらいえる。

Richard Skelton – Landings by _type

そんなスケルトンのサウンドスケープは、彼の精神や世界観と深く結びついている。

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